蓄音機のはなし

2019-08-06

弊社本社のある兵庫県浜坂は、1800年頃に縫い針産業が興り、1870年ごろには日本国内で最も盛んな地域として有名でした。
弊社も1873年(明治6年)この縫い針の生産で創業しています。
しかし、1910年ごろ(明治時代末期)には、その生産数は激減していきました。

そんな中、幸運にも明治10年(1877年)にエジソンが蓄音機を発明しました。
翌年には日本にも紹介され、1909年(明治42年)日米蓄音器製造株式会社が日本初の円盤レコードと円盤式蓄音機の製造をはじめました。
円盤型レコードをトレースするのは鋼鉄針です。縫い針生産で行き詰まっていた浜坂製針業界は、この鋼鉄針の生産に取り組みます。
やがて日本一の生産地となり、戦前には国内のみならず海外40か国に輸出していました。

全く未知の蓄音機針の生産に挑戦するということは並大抵なことではなかったと思われ、その苦労が偲ばれます。

レコードの針にも、太い針、柔らかい針、先端を潰したような針、メッキを施した針など多くのものがあり、それぞれ違う音を聴くことができます。
鋼鉄針は、LPレコード用のダイヤモンド針に比べて柔らかく、すぐに摩耗してしまいます。
音溝の中で針が摩耗すれば徐々に盤面に近づき、ついには音溝の底をガリガリと削ってしまいます。
柔らかい針では1面演奏するたびに1本の割合で針の交換が必要です。

初期の蓄音機のホーンは、ラッパ型で筐体の外付けになっていますが、時代が進むにつれ筐体の中に組み込まれるようになりました。
その素材は、木質や金属、紙、陶製など様々なものが使用さています。
動力はゼンマイ式で、全く電気は使用しないので、ボリューム調節もできませんが、後期には電動蓄音機(電蓄)も登場しています。

蓄音機は、レコード針で音溝をトレースする際、針が左右に振れます。
その振動がサウンドボックスに伝わり、雲母(初期)*、ジュラルミン**などのダイヤフラム(振動板)***の振幅によって空気振動、音波としてホーンを通じて機外に出ています。
このサウンドボックスは蓄音機の心臓部とも言われる部分です。

*鉱物の一種、マイカとも呼ばれる。
**強度に優れたアルミ合金。
***針の振動を空気の振動に変換し、音波を放射する役目を担う。

弊社では、以前3か月に一度蓄音機の試聴会を行っておりました。
会場はJR浜坂駅前の「まち歩き案内所」という蔵を改造した会場で毎回30人~40人の参加者です。
参加者の皆さんは、遠い記憶でしかなかった蓄音機の音によって、聴いている曲と昔の思い出があいまって浮かび上がり、心豊かに会場を後にされています。

現存する国産の蓄音機は製造後概ね90年前後経過していると思いますが、世の中には90年たっても人の心を動かすことができるものってそう多くはないと思います。
アナログ音楽の原点である蓄音機をこれからも大切にしていきたいです。

(今現在は開催の予定はございません。)

蓄音機用鉄針

弊社では現在でも蓄音機用鉄針の生産を続けております。

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