アナログレコードに携わっている方にインタビューする企画です。
第16回は、写真家である齋藤圭吾さんにインタビュー!
―どのような経緯で写真家になったのですか?
もともと写真に興味があったわけではありませんでした。18歳から5年ほどイギリスに住んでいた時に、最初は勉強のため英語学校に通っていましたが、英語を話せるようになってしまうと学校に通う必要がなくなり学生ビザが取れなくなってしまうので、入国時の学生証明書のために写真の大学に通うようになったんです。
―アメリカではなくイギリスだったのですね。
当時アメリカは暴動があって、ロサンゼルスで留学生が撃たれるような事件があったんです。
高校生の時に観たモッズの映画が好きでイギリスがカッコイイと思っていたこともあってイギリスにしました。向こうではバイヤーとしてレコードや古着、バイクなどを買い集めて日本へ送っていました。当時の日本ではアシッドジャズやレアグルーブが人気で、それらを買い集めて送っていたので、かなり売れました。笑
バイヤーをしていたので、マーケット(骨董市)で買った古いカメラをどこへ行くにも首からぶら下げてスナップ写真を撮っていました。モノクロで紙焼きするために自宅に暗室をつくっていたりもしましたね。
―イギリスから帰ってきてすぐに写真家として仕事をしていたのですか?
95年ごろに日本に帰ってきてからはファッション写真のスタジオに勤めました。そこでアシスタントとして働き、独り立ちしてからは音楽雑誌での仕事を始めました。他はメンノンやスマート、ポパイなどのファッション雑誌でも撮っていましたね。
―音楽がお好きというのもあって音楽雑誌でのお仕事が多かったのですか?
その頃お世話になっていたデザイナーさんが音楽雑誌を作っていたので仕事を紹介してもらっていました。イギリスから帰ってきたばかりの頃は日本の音楽業界を全然知らなかったですから。
CDジャケットとかは有名カメラマンが撮るので、駆け出しはページ単価の安い雑誌や宣材写真からということで、安い時は1ページ5,000円とかの仕事でした。 写真家として出始めの人が名前を売るためにやるような仕事ですね。 その後は商業写真をやめて、高尾あたりの山奥に住んでいました。古い家を改装したり畑で野菜を作る自給自足的な生活を4年くらいしていました。冬は寒いし雪かきなど大変でしたね。
―著書の写真集を拝見しましたが、風景やモノを撮ることが多いのですか?
仕事では人を撮ることも多いですが、個人的な作品ではほとんど人は撮らないかもしれません。
―何かテーマを持って撮っていますか?
特にテーマは決めてないです。テーマとかちょっと恥ずかしくて。笑
写真集を出すために撮り始めることはなく、たまたま撮っていて集まったものが写真集にまとまっていくような感じですかね。
―幼少のころはどんな子供でしたか?
両親が家でレコードをよくかけていたのもあって、一番興味を持っていたのは音楽でした。まだCDが出る前だったのでレコードを聴く文化が自然とありました。
ラジオやレコードの録音とかに時間を費やしていましたね。外でも遊んでいましたが、帰宅後はテレビも観ずにずっと音楽を聴いていた記憶があります。
―どんな音楽をよく聴いていましたか?
子供の頃は自分でレコードを買うお金もなかったので、家にあるものだったりFMラジオから流れる音楽を聴いていました。 両親がストーンズやスライなどの70年代当時のロックやソウルが好きで、家でよくかかっていました。 親戚からもらったフィンガー5や郷ひろみなどのレコードもありましたがストーンズを聴いている方が楽しかったです。
小学生の頃には自分の興味のある音楽を聴きたくなり、友&愛でよく借りていました。 テープに録音してウォークマンで学校の行き帰りに聴いたり、友達と自作テープを交換したりしていました。自分が聴きたい曲だけを集めて、今でいうプレイリストみたいなものをつくっていました。学校では放送委員だったのですが、私の担当する日は昼の放送でポリスやカーズなんかの流行歌を流していて、一部の先生からは評判良かったのですが生徒からはさっぱりでしたね。
―イギリスへ行ってから音楽との関わり方に変化はありましたか?
イギリスにいた時も部屋には必ずスピーカーやアンプ、ターンテーブルをセットするという生活をしていて、レコードはずっと聴いていました。ユーロビートやハウスが終わりかけていて、アシッドジャズやダブなどが流行っていました。そういった音楽が好きでクラブに行ったり元ネタのジャズやラテンを買い集めたりしていました。イギリスのクラブはアメリカみたいにポップな感じではなくマニアックな感じで、無名の頃のジャミロクワイなんかもよく来ていて、ファンキーな踊りが抜群に上手かったのを覚えています。
日本に帰ってきた頃には完全にCDが主流になっていました。iTunesが出てきてからは便利さもあって、一時期レコードを聴かなくなってしまいました。 でもある時、たしかヴァン・モリソンだった気がしますが、iTunesで聴いている曲を久々にレコードで聴いてみようと思い、かけてみたら音が全然違ったんです。 その時、自分は長い間ちゃんと音楽を聴けていなかったんだと思いました。音楽をつくった人たちに対してなんだか申し訳なく思ったんです。デジタルで録ったものをデジタルで聴くのはいいと思いますが、テープに録ってレコード化したものをデジタルで聴くのは失礼だと。そう思ってから持っていたCDは全部売って、音楽はレコードで聴こうと思いました。
もっと良い音で聴きたいと思いJICOのことも知りました。はじめはどれが良い針やカートリッジなのか分からなかったので安いものを色々試して聴いていましたが、JICOのダエン針やSAS針を知って少しずつ凝り始めるようになりました。
―凝り始めたのは何年くらい前からですか?
15年くらい前ですかね。ちょうどJICOのSAS針が出始めた頃だった気がします。コンディションの悪いオリジナル針よりは現行のジェネリック針の方がいい、という信条は今も変わりません。
―それは弊社のコアなファンですね。笑
針の交換はシステムを買い換えるよりも安く済むし、針による音の違いが面白くて、SAS針も使ってみたいと思いました。針先が綺麗に撮れている写真があまり無かったので、実際に自分の目で確かめるために撮り始めました。そこから「針と溝」の出版につながっていきました。
―今までステレオにどのくらいお金を使っていますか?
あまり高価なものは持っていないのでそんなにお金はかけてないです。古いレコードを聴くのには古いシステムで聴くのが合うのかなっていうぐらいの感覚です。専門的なことはよくわからないので、その都度 ’気持ち良さ’だけを基準に選んでいます。レコードとテープを年代やジャンルを問わず気持ち良く聴けたらいいかなと思っているぐらいです。
―お話を伺っていると音楽と向き合いたいという意識を強く感じます。
音楽を聴く時間はちゃんとつくりたいと思っていますね。 レコードを聴かなかった時期は iTunesを使っていた時くらいでした。音は平たいし、Wi-Fiが出始めた頃は音が途切れることもありましたが、ただ単に目新しさと便利さだけで使っていました。 ヴァン・モリソンのアルバムを聴き比べた時に、音だけじゃなく奥行きや空気を感じて感動して、この音を聴いて育ったんだと改めて思い直しました。
今でもサブスクなどで音楽を聴くことはありますが、食事中や作業中にかけるのがちょうど良いと思っています。感情移入することがないし裏返す必要もないので、BGMとしてデジタルは便利だと思います。ちゃんと聴きたいと思ったものはレコードで聴くようにしています。
―レコードは家で聴くことが多いですか?
そうですね。この家はガラスが全部二重になっていて、結構大きな音でも安心して音楽を聴けるんです。 今はクラブにはあまり行かないですが、ジャンルに関わらずレコードで音楽をかけてくれるお店にはついつい呑みに行ってしまいますね。笑
―私にとってのアナログレコードとは?
【取材後記】
ご自宅にはピアノもあり、ご自身で弾かれるのかと尋ねると奥様が使っているそうで。しかも有名なミュージシャンの方だったので驚きました。近年のアナログブームもあってレコードでもリリースしているそうです。
レコードへの愛も伝わってきて、小さい時から楽しんで聴いていた姿勢は今でも変わっていないんだろうなと感じました。
【プロフィール】
齋藤 圭吾(さいとう けいご)
1971 年東京都生まれ。雑誌や書籍、広告など 様々なメディアで活動。
主な仕事に『針と溝 stylus & groove』(本の雑誌社)、『記憶 のスパイス』(アニマスタジオ)、『高山なおみの料理』(角川書店)、『ボタニカ問答帖』(京阪神エルマガジン社)、立花文穂デザイン・製本による写真集『melt saito keigo』(立花文穂プロ)など。
■Instagram
https://www.instagram.com/keigo.saito/