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アナログレコードを愛する人々第5回 Turntable Troopers ENT. 代表取締役 DJ $HIN氏

第5回は、「Turntable Troopers ENT.」代表取締役のDJ $HIN氏にインタビュー。DJ/プロデューサーとしても活躍し、日本のDJ界を牽引されてきました。 『すぐにターンテーブルを買いに行った』 −音楽に興味を持ったのは? 一番古い記憶は「およげ! たいやきくん」のレコードです。子どもの頃、おじいちゃんのステレオでよく聞いていました。「ホネホネロック」とか(笑)。それと6歳上のいとこのお姉ちゃんが洋楽好きで、いつもカセットテープに最新ヒットソングを自分で編集して僕にくれてたんです。だから小学生からずっと洋楽ばかり聞いていましたね。 −DJをやってみようと思われたのは、いつ頃ですか? 高校2年生の時、まだ日本に入りたてだったスノーボードがしたくてスキー場のアルバイトに応募して長野県栂池のディスコでウェイターをしました。その頃まだ僕はダンスに夢中で、昼はスノーボード、夜はダンス、バイト代ももらえるしで、毎日最高でした(笑)。そこに同じ大阪から来ていたDJさんと仲良くなって「いつも、そこに立ってなにをやってはるんですか?」と尋ねたんです。そしたら親切に教えてくれて「これは、すごい!」となり、大阪に帰るなりバイト代と貯金を握りしめターンテーブルを買いに行きました。 『スクラッチとの出会い』 −衝撃を受けたのですね。 はい。大阪に帰ってターンテーブルを手に入れてから、DJの見習いに行きたいと思って長野で一緒だったDJさんに相談したら、「じゃあお店紹介してあげるわ」となって、見習いとしてDJをスタートしたんです。*ディナスティというディスコで働くことになり、初めてついた師匠がスクラッチが大好きな人だったんです。その方が僕に初めて**DMCの世界大会のビデオを見せてくれたんです。それで超感動してスクラッチってスゴイ!となって、そこからはずっとスクラッチです。ディナスティが閉店する時に師匠が「自分は家業を継ぐから、お前はツレのDJのところに丁稚奉公へ行け」と(笑)。その通りに丁稚奉公へ出るんですが、それがその当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのGM-YOSHIさんだったんです。 『天才であってもすごく努力している』 −Turntable Troopers ENT.を立ち上げられたのは、いつ頃なんですか? 若い頃から独立心は強かったですね。生意気だったと思います(笑)ただ若い頃は金もなかったんで、少しずつ貯金したりして(笑) 2003年に立ち上げました。 −今までにスクールで教えられた生徒数は、どれくらいいらっしゃいますか? 最初はDJスクールを楽器屋さんと組んで企画としてやってたんです。その後また別のスクールを立ち上げたり、その頃でも生徒数は250人近くいました。ある時、専門学校でDJ科を立ち上げるんでとお声をかけて頂き、講師を務めました。6年間くらい務めましたね。独立してからは16年ですが講師としては20年以上になるんで、はっきりとした数字はわからないですが、1,000人ぐらいだと思います。 −すごい人数ですね。生まれつきのセンスを持っていると感じた生徒さんはいらっしゃいましたか? いませんね。どれくらい続くかなとシビアな目で見てるんですよ。”化ける”という言い方をしますが、思いもよらない人が急に馬力を出すんです。僕の知る限り天才は***RENAくんぐらいかなぁ。天才であっても、もちろんすごく努力していますよ。 『ターンテーブリストとしての気概』 −ターンテーブリストという表現はいつ頃からあるんでしょうか? 1990年代の半ばに、アメリカの****ビートジャンキーズのメンバーであるDJ Babuが最初に言ったとされています。それまではDJとかスクラッチャーとか言ってましたね。 −ターンテーブリストとしての自負というか、PCを使用しないアナログDJとしての気概ってありますか? ターンテーブリストと名乗るのであれば、人一倍上手にターンテーブルを扱えないとダメだと思うんです。バンドにターンテーブリストとして参加する時にどんなパフォーマンスができるのか、歌手のバックDJをする時にどんなパフォーマンスができるのかとか、その時々で求められる技術は違うと思うんです。自分が思っていることができるように、日々鍛錬しておかないとダメだと思います。 −$HINさんご自身は、毎日ターンテーブルを回されているのですか? スクールでレッスンがあるので、今でもほぼ毎日触ってます。自宅にいるときはぼけーっとゲームとかしてますけど(笑)。 −ご自宅にもターンテーブルが? 置いてますよ。いつ何時アイデアが降りてくるか分からないので。 −今までに購入したレコードは何枚ぐらいですか? 何枚ぐらいなんですかねぇ。数えるんでちょっとだけ待っててもらえますか?(笑)。でもキャリアの割に僕は少ない方だと思うんですよ。なんで少ないかと言ったら、コンテストに出るための練習には基本2枚あれば事足るんですよ(笑)。それが何ペアかあればずっと練習しているので。それでも、ざっと10,000枚くらいはあると思います。 『夢のおもちゃ』 −昨今のDJ業界というか、ご自身を取り巻く環境についてお聞かせください。 1980年代にスクラッチが日本に入ってきて、先輩方が色々と試行錯誤を繰り返されたのを僕たちが継承して伝えている訳なんですが、今はポータブルレコードプレーヤーでスクラッチが出来る。いわゆるおもちゃですよね。”おもちゃ以上プロ仕様未満”がちょうどいいんですよ。1960年代以前からポータブルのレコードプレーヤーはありましたが、それに*****フェーダーを付けるだけで楽器になっちゃったんです。これが僕らからすると”夢のおもちゃ”なんですよ。小さい頃から子ども達に、こういうので楽しく遊んでもらって、プロのDJを目指してもらえたら嬉しいです。ただ、もっとDJの仕事ができる環境が増えればいいなとは思いますね。 『かっこいいと思う方向へ』 −スクールだけに留まらず、製品企画や楽曲制作など様々な活動をされてますね。 そう言われればそういう人はあまりいないですね。珍しいタイプだと思います(笑)誰もやった事無い事をするのが好きなんですよ。興味があることにはとことん突っ込んでやります。製品の企画とかも自分が好きで(DJを)やっているので、こんなの欲しいな的なアイデアはいくらでも出てきます(笑) −DJスクールの在り方についておしえてください。 お金を持っている企業がスクールなどをやりだしましたが、二つの方向へ分かれて行ってると感じますね。ターンテーブリストがやってるスクールとそうじゃない人がやっているものとではレッスン内容が大きく違います。でも、それぞれがかっこいいと思う方向へ行ったらいいと思います。クラブやフェスとかで盛り上げる方が良いと思えばそっちへいけば良いし、僕らみたいにコンテストやバトル、寡黙にスクラッチをやっているのがかっこ良いと思えばそれで良いと思います。 −ご自身がDMCなどの大会に出場されていたのは? 1993年あたりから1999年にかけてです。 −その当時はDJの大会は、どんな大会がありましたか?また、日本人のDJはどんな感じだったのでしょうか? 今残っている大会はDMCぐらいじゃないですかね。その当時から日本人は本当に努力してきて、GM-YOSHIさんやDJ HONDAさん、DJ TA-SHIさん等、世界にランクインされている方もいらっしゃいました。みなさん努力家で繊細ですね。今ではDMCでも常勝国として認知されるほどになりました。 『自分を信じて、自分のスタイルで』 −これからDJを始める方やプロDJを目指される方へコメントをください。 技術的なものは、独学よりも習う方が良いと思います。身につけた技術をどう使うかなんです。他人のスタイルを参考にするのは良いですが、それを真似るのではなく、自分を信じて自分のスタイルでやるべきです。人に流されると二番煎じ、三番煎じになってしまう。誰もやっていない事をやる方が良いです。 https://youtu.be/UScAlzi6dQs *1985年に大阪宗右衛門町にあった、ステーキが美味しいと評判だったディスコ**世界一のDJを決める大会***若干12歳にして「DMCJAPAN2017」を制覇し同年10月にロンドンで開催された”DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIP”に出場し過去最年少で世界王者になったDJ****1992年に南カリフォルニアで結成されたDJ、プロデューサー集団*****DJミキサーなどに用いられている音量やエフェクトの出入力のレベルなどを設定するツマミ。ここでは、2つのチャンネルを切り替えることができるポータブルクロスフェーダーのことを指す。 インタビュー後記 DJに対しての昔からの一般的な既成概念を覆させられました。なにか、噺家の世界観を彷彿とさせるような経歴と思想、そして日本のDJ業界に対してしっかりとした持論と教養も持ち合わされておられたのに驚きました。今まで個人的に抱いていた「チャラチャラとして不健康そう」というイメージとは正反対でした。なにより先人達に対しての尊敬を忘れず、いつも謙虚な姿勢に頭が下がる思いがしました。$HINさんのお人柄が凝縮された取材になりました。 Turntable Troopers ENT.代表取締役/DJ/プロデューサー DJ $HIN (でぃーじぇい・しん) 幼少の頃より洋楽を耳にする環境の中で育ち、10歳からブレイクダンスを始める。1990年DJに目覚め、1991年よりプロのDJとして活動をスタート。同時にDJバトルにインスパイアされ、そして参戦。数々のタイトルを奪取、西日本チャンピオンを4度経験し、1998年には日本第2位まで上り詰め、翌年1999年、DMC日本代表となった。それと同時に、K.O.D.P.のBooなども在籍したS.B.S.のDJとして、Word Swingaz/FutureShockのライヴDJとしても活躍。名曲Shingo2/E22との”Pearl Harbor”などのトラックメイカーとしても知られる。さらには数々のテレビ番組にも出演、FMラジオ番組のレギュラーも務めた。2003年にはCREWの名を一部に冠したレーベル、“Turntable Troopers ENT.”(T.T.E)を立ち上げ、第1弾音源ともなるソロアルバム『World Famous』をリリース。その後、『SAMURAI BREAKS』、『BANZAI BREAKS』、『KAMIKAZE SKIPPROOFS』など、次々にリリース。どれも国産バトルブレイクス史上記録的なセールスで、今もなお記録更新中である。最近ではDJスクール、音楽専門学校など若手育成やプロデュース活動に重点を置き、そのスキルを発揮している。まさに日本DJ界の『PIONEER』的存在。 LINKTwitter【 https://twitter.com/djshin1200 】Instagram【https://www.instagram.com/djshin1200/】Blog【 http://ameblo.jp/skratch/ 】Turntable Troopers ENT.【 http://tte.jp 】...

蓄音機のはなし

当社本社のある兵庫県浜坂は、1800年頃に縫い針産業が興り、1870年ごろには日本国内で最も盛んな地域として有名でした。当社も1873年(明治6年)この縫い針の生産で創業しています。しかし、1910年ごろ(明治時代末期)には、その生産数は激減していきました。 そんな中、幸運にも明治10年(1877年)にエジソンが蓄音機を発明しました。翌年には日本にも紹介され、1909年(明治42年)日米蓄音器製造株式会社が日本初の円盤レコードと円盤式蓄音機の製造をはじめました。円盤型レコードをトレースするのは鋼鉄針です。縫い針生産で行き詰まっていた浜坂製針業界は、この鋼鉄針の生産に取り組みます。やがて日本一の生産地となり、戦前には国内のみならず海外40か国に輸出していました。 全く未知の蓄音機針の生産に挑戦するということは並大抵なことではなかったと思われ、その苦労が偲ばれます。レコードの針にも、太い針、柔らかい針、先端を潰したような針、メッキを施した針など多くのものがあり、それぞれ違う音を聴くことができます。鋼鉄針は、LPレコード用のダイヤモンド針に比べて柔らかく、すぐに摩耗してしまいます。音溝の中で針が摩耗すれば徐々に盤面に近づき、ついには音溝の底をガリガリと削ってしまいます。柔らかい針では1面演奏するたびに1本の割合で針の交換が必要です。 初期の蓄音機のホーンは、ラッパ型で筐体の外付けになっていますが、時代が進むにつれ筐体の中に組み込まれるようになりました。その素材は、木質や金属、紙、陶製など様々なものが使用さています。動力はゼンマイ式で、全く電気は使用しないので、ボリューム調節もできませんが、後期には電動蓄音機(電蓄)も登場しています。蓄音機は、レコード針で音溝をトレースする際、針が左右に振れます。その振動がサウンドボックスに伝わり、*雲母(初期)、**ジュラルミンなどの***ダイヤフラム(振動板)の振幅によって空気振動、音波としてホーンを通じて機外に出ています。このサウンドボックスは蓄音機の心臓部とも言われる部分です。 当社では、3か月に一度蓄音機の試聴会を行っており、2019年6月に25回目を行いました。会場はJR浜坂駅前の「まち歩き案内所」という蔵を改造した会場で毎回30人~40人の参加者です。参加者の皆さんは、遠い記憶でしかなかった蓄音機の音によって、聴いている曲と昔の思い出があいまって浮かび上がり、心豊かに会場を後にされています。現存する国産の蓄音機は製造後概ね90年前後経過していると思いますが、世の中には90年たっても人の心を動かすことができるものってそう多くはないと思います。アナログ音楽の原点である蓄音機をこれからも大切にしていきたいです。 *鉱物の一種、マイカとも呼ばれる。**強度に優れたアルミ合金。***針の振動を空気の振動に変換し、音波を放射する役目を担う。 ...

アナログレコードを愛する人々 第3回 家具工房アクロージュファニチャー代表 岸邦明氏

『材によって音は変わる』 ―早速なのですが、そこに置いてあるターンテーブルは商品ですか? これは今日納品分なんですが、お客さんがお持ちのベースを作り直したんです。 ―壊れたわけでもないのに作り変えるのですか? 音が全然違ってくる様です。 ―ちなみに材は何ですか? これはメープルですね。ここで二枚を接(は)ぎ合わせています。一枚板で出来ない事もないのですが、100mmを超えて製材するって事が基本的にないんです。もしそれをやろうとすると乾燥に相当年月がかかります。もちろん、人工乾燥炉に入れたりとか出来なくは無いんですけどね。(特注サイズをやり始めると)10年位の単位で材料を用意していかなきゃならないんでね。このターンテーブルの元の材料はアッシュの滅茶苦茶目が粗い材でした。 ―メープルを選ぶにあたってはお客様と色々相談されるのですか? メープルは実際*インシュレーターとして採用実績がありますので。材を変えると音が変わるのは分かっていたんですよ。僕は一通り材料を試してきたので、どんな音がするのか推測できます。だからお客さんの持っているオーディオ機器と、その人の目指す音をお聞きして、これがいいんじゃないですかと提案してます。例えば真逆な音がする材と両方持って行って、実際聞いて頂くと納得して下さいます。 アクロージュファニチャー定番商品の椅子。ロゴのモチーフとなっている。 ―社長もレコード世代ですか? いや、どっちかと言うとラジカセ、ウォークマンの世代でしたが、中学生くらいまではLPを聞いてました。世間と同じでLPからカセットテープ、そしてCDへと変わり、LPは聞かなくなりましたね。そこから30年くらい全然聞いて無かったんです。 ―社長は一日の中でどんな風に音楽と関わっていますか? 仕事をしながらBGM的に音楽を聞くことが多いです。CDでJazzが多いですね普段は。作業場のスタッフはラジオを流してますけどね(笑)。 『経験が積み重ねられるものを』 ―この鳥居の様なロゴは起業の頃から使われているのですか? 最初から使っています。 そもそもは「アクロージュファニチャー」のAと定番でやってるこの椅子を正面から見たデザインなんです。でも見る人は殆ど鳥居だって言ってます(笑)。木工ってね、昔に遡れば、そういう神社仏閣と無縁じゃない職業なんでね。 ―営業は社長がされるのでしょうか? 僕は十年以上やってきて、この仕事では営業をやった事がないんです。音楽之友社さんがそばにあるってのも、越して来て分かってて、エンクロージャーも何度も作ってきてて凄く喜ばれていたから、木工の技術がオーディオ製品に活かせればというのがありました。レーザーターンテーブルという製品の木部をうちがずっと作って来たし。だからそろそろ営業もしなきゃなと思ってたら、音楽之友社さんから無垢材でスピーカーを作れないかという話が来たんです。僕の中では作れない理由が見つからない。結局1セット10万円というものを出しました。音楽之友社として初めての高価格帯商品だった様で、それが売れたし好評だったんです。正直儲からないですが、今、次のモデルの開発手記を連載させて頂いていて、それをそのまま自分のブログに掲載する許可を貰ってるんです。それが何よりの財産になるかなってところです。 ―話が遡りますが、十数年前に木工の仕事を始めたきっかけは何だったのですか? この仕事の前は、親父の借金を返すために問屋業をしていたのですが、5年足らずで返せちゃったんですよ。両親にもちょっと貯金も渡せました。その時自分は28歳で、手元に1千万円の貯金も出来たんです。そのうちAmazonみたいな世界が来て、問屋業は永続きしないなと思ってたんです。だからセレクトショップみたいなものをするか、メーカーになるかどっちかだなと考えました。僕も商材を30種類くらい手掛けましたが、売れたのは所詮1個なんです。モノを売るって結構大変なんだなと痛感してましたので、モノが売れるサイクルの中でこの先30~40年間も俺はヒット商品を出し続けられるのかなといえば、それもしんどいなと思ったんです。で、モノづくりってなった時に、家の中にあって必ず無くならないもので、経験が積み重ねられるものでと考えました。その中から時間をかけて家具に絞ったんです。木工は何となく自分でも出来るかなという感覚があったんです。 店内の様子。木製スピーカーなども販売されている。 『知識を身に付けるため80,000kmの旅に出る』 ―どこかに弟子に入られたりしたのでしょうか? 30歳を回ってから職業訓練校に行きました。28歳で事業を親に引継ぎ、自分は木工の道に行こうと決めて、でも10代からやってる人たちに勝てないじゃないですか。いやどうするかなとなって、人並みかもしれないけど、何より知識が重要だろうと思いました。そこで見聞や情報を身につけるため3年くらいかけて海外を回ったんです。バックパッカーではなくて。当時はまだネットとかもないんで、やっぱ正しい情報というのは本なんですよね。(バックパッカーだと)本を沢山持って行くっていうのも出来ないから、車がいいな、それもキャンピングカーだって辿りついたんです。キャンピングカーっていっても買うだけでも大変じゃないですか。それで更に調べているうちに日本のキャンピングカーが海外にまだ出た事がないのが判ったんです。そこで欧米30ヶ国を国産のキャンピングカーで回るという企画書を作って、キャンピングカー専門月刊誌に持っていきました。すると「面白いね」と言ってくれて、毎月4ページの連載を頂いたんです。今度はキャンピングカーメーカーに車両を借りるべく持ち込んだら、大阪の会社が1社採用してくれました。ヨーロッパから北米、ニュージーランド、オーストラリアと二年かけて回りました。 ―全走行距離はどれくらいですか? 80,000km位ですかね。執筆しながらの旅です。 『あなたの思いをかたちにします』 ―この先の事業の展開はどんな風に考えてらっしゃるのですか? 本来なら作家みたいに自分が作りたいものを作って、それを欲しい人が買ってくれたらそれが一番いいんですが、そんなに自己表現に執着していないんです。どちらかと言ったら顧客満足の方が強いんです。お客さんが本当に欲しいものを突き詰めて作っていく方向に舵を切ろう思っていて、僕の社是みたいなものが「あなたの思いをかたちにします」なんです。誰にも負けないフルオーダーメイドの家具を作ろうというのをひたすらやってきています。今僕は丸太で材木を買ってきて製材所に頼んで挽いて貰って、3、4年かけて乾燥させたもので作ってます。一つの家具は一つの丸太からっていうのはほとんどどこもやってないです。東京都内で丸太から家具を作ってるところはうちだけなんです。そこをまず突き詰めてるんですけど、採算が取れるとは限らないです。なぜかと言えば無茶苦茶時間がかかるので。だから木工教室を始めました。今生徒さんが200人います。 ―どんな方が通われているのですか? 男女比は同じくらいで、年齢は本当にバラバラです。長野から通われている方もいますね。木工教室の質と規模としては日本一だと思っています。プロの世界の方がもう機械でしか作らない時代になってきてるんです。個人はそういう機械を持てないから、逆に手の技術が伸びたりするんです。 ―生徒さんの作品を手伝ったりするのですか? 前は手伝っていましたが、今はなるべく自分でやれる様にしています。手を貸しちゃうと「先生に最後手伝って貰っちゃったな」というマイナスな想い出が残るんです。レベルはともかくとして生徒さん自身が作り上げた方がやっぱり満足感があるというのが十数年やって学んだことです。 『無茶苦茶「とことん」みたいです』 ―フルオーダー家具というのは高価だし、そうそう買い替えないものなので、お客様が値段に納得し、満足してもらう為の社長ならではのやり方はありますか? うちに来られるお客さんって、ここに来るまでにほとんどの家具屋さんを回ってるんですね。よそで満足できなかった自分の想いが形にならなくて、それでも諦めずに探し続けたら、うちみたいな存在を発見して、藁にもすがる気持ちで来られる方が多いんです。あちこちで修理やオーダーメイドを断わられていますからね。でもブランド力が全く無いこの僕に、50万円、100万円預けていいのかってとこですよね。形があればいいけど、最初は何も無いですから。せいぜいあって図面ですよ。僕は一般的な努力は勿論しますよ。ニーズを知る為にお客さんの話をとことん聞いたりとかはね。でもその「とことん」が無茶苦茶とことんみたいですね。それは納品時に言われますね。「家の中の全ての家具を見て、こんなにとことん向き合ってくれた人はいない」って。だから現場には必ず行きます。 https://youtu.be/J-L8U_Rr2IU *オーディオ機器の下に敷く振動吸収材 インタビュー後記 ドラマの様な半生に驚きました。人生の岐路に立つ度にいつも無茶苦茶考えて、納得して選んで人生を歩まれている前向きな姿勢には、いい加減な自分が恥ずかしくもなりました。徹底的な顧客満足の追求こそが小さなメーカーの生きる道と信じて実現し、実績をあげられている事実に刺激を受けました。(こう書くと嫌がられそうですが)私がこれまで会った中で確実に3本の指に入る外見も内面も「イケメン」だと太鼓判を押します。そしていつか家具をオーダーしたいと思いながら神楽坂を後にした次第です。 家具工房 アクロージュファニチャー代表 岸 邦明(きし・くにあき) 大学卒業後、物販の仕事を行う。制作に携わらず、本当に良いものか確信を持てないまま販売することに満足することができず、制作から販売まで責任を持って行える仕事を探す。木工から家具に興味を持ち、28歳のとき、家具工房を生業にすることを志す。29歳から31歳の3年間、約20カ国をモーターホームで巡り、歴史ある国々の生活様式や文化財に触れ、どのような家具を制作していくべきかを学び、感性を高める。32歳で家具制作の訓練校に通い始めてからは木工に全力の日々。少しでも良い物を作りたいとチャレンジし続け、現在に至る。「しっかりした物を作りたい」「お客様の望みを叶えてあげたい」が今も変わらない一番の目標。 家具工房アクロージュファニチャー http://www.acroge-furniture.com ...

アナログレコードを愛する人々 第2回 田中伊佐資氏

オーディオ誌「Stereo」や「Analog」に連載を執筆中の人気フリーライター田中氏に自身の音楽との関わりや変遷についてインタビューしました。 ―音楽と出会ったきっかけは何ですか? 小学校の頃のラジオ番組ですね。洋楽の番組を熱心に聴いていました。なぜ歌謡曲ではなく洋楽なのかというと、「俺はこんなの聴いてるぜ」と友達にかっこつけたかったからです。でも、長続きしているということは、歌詞の意味もわからないけれど、どこかで好きだったんでしょうね。 うちは両親が音楽好きとかではなかったので、オーディオシステムなんてありませんでした。雑誌に付いてくるソノシート聴くための、ただ音が出るポータブルプレーヤーがあっただけなんです。そのうちヒット曲のレコードが欲しくなるわけですが、ターンテーブルが小さいのでシングル盤しか聴けないんですよ。 すると、ある日友達が「上蓋を開けたままにすればLPもかかるよ」と教えてくれたんです。レコードがプレーヤーからはみ出すんですけど、確かにいける。お小遣いをせっせと貯めてLPを買いました。初LPはビートルズの「オールディーズ*」でしたね。音が出た時にはすごくうれしかった。これからLPも聴けるぞみたいな感じで。 その後、そのポータブルプレーヤーのちゃちなスピーカーを変えました。ユニットを買い、箱を自作しました。その時の音を出した感動はすごかったです。もちろん今聴いたら全然いい音ではないでしょう。しかし、音楽を聴く喜びが無限大に広がっていくような感覚がありました。それが僕のオーディオにのめり込む原点になりました。 田中氏のオーディオルーム ―音楽の世界で生きていこうと思われたのはいつ頃ですか? それはずっと後年です。 雑誌が好きだったので、大学の頃から編集者になりたかったんです。ただ自分で文章を書こうという気はまったくありませんでした。最初は就職情報誌の編集部で仕事をしていました。音楽とは関係のない仕事です。 ある日、高校時代から読んでいた雑誌「Swing Journal」を見ていたら「編集者募集」と載っていたんですね。入社したいというよりもどんな会社なのか見たくなって、応募してみたんです。そしたら受かってしまったので、悩みましたけど、転職することにしました。 そこから音楽は、純粋な趣味ではなく仕事にもなりました。 就職情報誌の会社にいた時はちょうどバブル期に当たり、ものすごい残業をしていたんです。その残業代を使うような大した趣味がなくて、なかなか高額なオーディオを思い切って買ってしまったんです。 その後、「Swing Journal」をやめてフリーになったのですが、その時にも文章を書こうという気はなく、フリーの編集者になろうという気持ちでした。でも、フリーの編集の仕事ってそんなにないんですよ。そうこうしているうちに、面識があった「音楽之友社」や「音元出版」の編集者から「田中さん、辞めたんだってね。何か書いてみない?」という誘いがあったんです。そこで少し書いてみたら、じゃあ次もよろしく、という感じで仕事がつながっていった。その成れの果てが、この有様です(笑) ―話は変わりますが、MCカートリッジではなくMMカートリッジがお好きなようですが、それはなぜですか? 高級なMCも持っていて、使っていたこともあります。 でもMMの鳴りっぷりが好きなんです。オーディオ・シーンにおいてはMMよりMCの方が上級と位置づけられていますし、僕はそれを盲信していた時期がありましたが、ようやく自分の音に確信が持てるようになったということですね。高額であればあるほど音が良くなるみたいなことはないと思います。オーディオってそんな簡単でわかりやすい趣味ではないですよ。 ―以前当社の工場にいらした時に、「いろいろと試したが結局**44に戻ってきた」とおっしゃっていたのが印象的に残っています。 そういう人、少なくないですよ。MCは微小な情報を丁寧に扱って、後から出力を大きくする。一方、MMは初めからパンチ力がある。それは往々にして粗削りなMM的側面があるかもしれませんが、その後のオーディオシステムで磨いてあげる。自分の生理的な感覚に照らし合わせるとMMの方が合っているように思っています。 ―私は田中さんと知り合って、N44-7の良さを再発見することができました。 僕よりも遥かに音楽通の方が、「恥ずかしいんだけど、いまだに44なんだよね」とおっしゃっていたので、「もっと堂々としてくださいよ」と活を入れました(笑)。「人に『まだMC使ってるの』くらいのことを言ってやってください」と。 ―ハイエンド=MCというイメージが確立されているような気がします。 MCは高いものが多いですからね。問題なのはそのハイエンドの音が自分の志向に合っているかどうかです。原音を忠実に再生しようとすることをHi-Fiと呼ばれていますが、自分が良ければそれでいい、自分の好みに忠実であろうとすることを僕は「My-Fi」と呼んでいます。人がなんて言おうとノイジーなLo-fiがしっくりくれば、それでいいという考えです。MMカートリッジは僕にとって「My-Fi」の象徴です。 少し話が変わりますが、モノラル盤専用のヴィンテージオーディオでも僕は音楽を聴いています。ヴィンテージのシステムから出る、こちらのハートの中に土足で入ってくるようなスピード感やパワー感は、Hi-FiだとかMy-Fiだとか言っている場合じゃないほど強烈です。理屈抜きのエネルギーを感じます。 この頃のレコード針というのは、やはりMMです。この当時の音の雰囲気を現代的なオーディオでも再生したいな、という気持ちは少なからずありますね。後ろ向きな考え方のようにも聞こえますが、なんでもありなのがMy-Fiです。 ヴィンテージのモノラルプレーヤー。かなりのレア物。 ―ところでCDもたくさんお持ちですが、 CDで音楽を聴かれることもあるのですか? 仕事では聴きますが、個人的な趣味としてはあまり聴かないです。といってもCDが出てきてから長らくは、レコードは休止してCDをメインに聴いていました。レコード一筋何十年みたいな人はざらにいるわけで、僕はこうしてレコードについてもっともらしく語る資格なんてないんですけどね(笑)。 ―8トラックや4トラックのテープもお持ちなのですね。 これは最近集めたものです。アナログという意味では、レコードと同一線上にありますけど、やはり音は全然違います。8トラックの音は、いなたいというか、田舎くさいんですよ。Lo-Fiの極みですね。ただ、それがハマる音楽もあるんですよ。スワンプなロックとか、80年代ロックとか・・・"Journey***"とかいいですよね。8トラックはアメリカの音楽が合いますよね。 懐かしい8トラック(通称8トラ)の数々 ―CDとレコードはそれぞれどういった良さがあると感じますか? レコードの方が、いい音を出すのが大変だと思います。同じ予算でレコードとCDのシステムを組んだら、CDの方がいい音が出ますよ。さらに選曲とか機能的ですし、ずっと流していても自然に止まるし。しかし、自分の肌に合った音を求めて一歩踏み込もうとすると、レコードのほうがいじり甲斐がありますね。 趣味として考えた時に、レコードには大きなジャケットがあったり、中古盤の個体差があったり、プレスしている国や時期が異なると音が違ったりと、煩わしく感じる方もいると思うのですが、僕はそういうのが面白いなと思っています。 レコードの音の微妙な違いを楽しむことと、MMの針を取り替えて聴く面白さには共通する部分があります。 ―機材の違いを聴き比べる時に、どういった音楽で比較されるのですか? 聴く機材にもよるんですが、ビートルズの"アビイ・ロード"のB面に収録されている"Sun King"はわりと使います。この曲には虫の声が入っているのですが、それが右から左のチャンネルに動いていくんですよ。いい音が出ている時は、スピーカーの後ろに虫がいるように聴こえますね。 それに加えて、その曲にはヘビーな低音や強めのドラムのキックが入っているのですが、そういった低音の質感を気にしますね。その後に、メンバー全員のコーラスが入るんですよ。そのハーモニーの広がり感と音色をチェックしますね。 それからもっと一般的なチェックのポイントは、演奏に躍動感があるか、前に出てきてこちらに訴えかけてくるような感じがあるか、といった辺りですかね。なかなかうまく言えないのですが、最高なのは、スピーカーからはみ出てくるような音ですね。「最高の時はスピーカーの存在が消える」と言う方がいます。自分の目の前のスピーカーが消えて、後ろの壁が抜けてしまったように感じることです。要するにサウンドステージが出来上がっている状態です。僕が言っているのはそういう感じでもなくて、スピーカーに収まりきらないような音がドクドクと噴出している感覚です。スピーカーが120%フル回転しているような。それが僕にとっての「いい音」ですね。 機材のチェックをする時にはそういう音が出ているかどうか確認しますけど、やはり簡単には出ないですね。そういう音の片鱗が見えれば、セッティングなどの調整次第でもっといい音になる予感はあります。 The Beatles "Sun King" https://youtu.be/6bNMxWGHlTI (出典:youtube) ―最後の質問です。あなたにとってのアナログレコードとは何ですか? https://www.youtube.com/watch?v=PZryQqUQSl4&t=3s 2019年5月に発売された田中伊佐資氏の著書「ジャズと喫茶とオーディオ」好評発売中。 田中伊佐資著「ジャズと喫茶とオーディオ」出版:音楽之友社https://www.amazon.co.jp/dp/4276962927/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_b8zjDbP8NJG53 * 「オールディーズ」(A Collection Of Beatles Oldies)  ビートルズのベストアルバム。 ** SHURE M44シリーズのカートリッジのこと。 *** アメリカのロック・バンド。 田中伊佐資氏インタビュー後記 少し蒸し暑い取材当日、田中さんはわざわざ最寄り駅まで車で迎えに来てくださいました。10分ほど走り、閑静な住宅街の中で先生は突然、「ここです。着きました」と。 立派な門扉と手入れが行き届いたお庭に圧倒されつつ二階に案内していただくと、誌面等で見覚えのあるオーディオルームが!やっぱり凄い!現物はまるで違いました。私がまず反応したのは1950年代のモノラルプレーヤー。田中さんは「そこに食いつきますか!」とひとしきりモノラルについて語られ、その後取材へ。仕事なのか鑑賞会なのかわからなくなるようなワクワクする時間を過ごさせていただきました。田中さんのレコード愛に触れ、"My-Fi"についてのお話には強く共感いたしました。 取材を終えた帰路の途中で、キャスターカバンを忘れたことに気づき慌てて戻ろうとすると、自転車に載せて追いかけて来られて「大事なものを持って来ました(笑)」と・・・。そのお人柄にも触れられ、幸せな気持ちになれた取材でした。 田中伊佐資(たなか・いさし) 東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。現在「ステレオ」「オーディオアクセサリー」「analog」などに連載を執筆中。この5月に「ジャズと喫茶とオーディオ」(音楽之友社)を刊行。ほか『音の見える部屋 オーディオと在る人』(同)、『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)、『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。ツイッターは「田中伊佐資」で検索。 ...