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「何よりも一番中心にはレコードがあるんです」アナログレコードを愛する人々 第11回

アナログレコードに携わっている方にインタビューする企画です。第11回は、高円寺「EAD Record」店主にして、関連機材の開発をされている組嶽 陽三 氏です。 『EADという店名のダブルミーニング』 ― 早速ですが「EAD Record」のEADって何ですか?E(いい)A(アナログ)D(ディスク)の頭文字です。が、元々は違う意味でした。 ― 元々とはどういう事ですか?1993年に兄がここでアメリカの古着屋を始めたのがスタートです。その時は「EAD」は意味が違ってまして(笑)。兄には幼い頃から家出癖があったものですから。実はその「家出」から来てます。その後兄が帰郷して起業し、1997年に中古レコード店になりました。今年で22年目になります。 ― レコードの仕入れなんかはどうされているのですか?海外買付けも含めて色んなルートを駆使しています。でもここは場所が狭いんでね。(そんなに置けないんです)― ご自身もレコードがお好きで、ご自分のテイスト中心の品揃えでおやりになっているなら、趣味とご商売の境目というか、仕入時にこれは売りたくないなみたいな盤が入った時はどうするんですか?ノーコメントで(笑)。 『海外のお客様が7割です』 ― お客様としてはどんな方が多いでしょうか?海外の方です。七割はそうです。ここ二年は特に。今、空前のジャパニーズブームなんですよ、いろんな面で。音楽だけじゃなくファッションも。日本人はネット中心(にお買い上げ頂くの)でほとんど店舗に来られないですし。― 外国の方は(何か目当てのある)目的買いなのでしょうか?ですね。 ― それは転売目的の投機的な感じですか?それもあるかもしれませんが、日本のものは日本が全然安いんですよ、やっぱり。あと、日本の音楽がよく分からないから、何かお薦めは?って聞かれますね。―そう聞かれると、どうお答えになるんですか?今、シティポップって流行ってるんで、山下達郎、竹内まりや、大瀧詠一、大貫妙子とかですかね。あとユーミンやサザンも紹介しちゃいます。ここで実際聞かせてあげて、あとはご自分で自由に聞いて頂くんですが、3時間くらい聞いてらっしゃいますよ。外国人は100%カード払いなんですが、現金なら少しディスカウントすると持ちかければ、じゃあいくらになるの?って交渉に応じてくれますね。そして結構まとめ買いしてくれます(笑)。 ― この店内のメインスピーカーは手作りですか?はい、そうです。長岡鉄男氏(スピーカー設計)系です。ユニットが8cmのフルレンジです。長岡さんは10cmで20畳くらいは鳴らせると仰っているので、この店のキャパシティなら充分です。でもうちは元来ダンスミュージック系なので少し振動を残す感じで仕上げました。ターンテーブルはKENWOODの80年代のものです。これも長岡氏の推薦機種です。 『100年もつものを作る』 ―現在取り組まれているアナログオーディオ関連製品の企画開発はどういうきっかけで始められたんでしょうか?ダンスミュージックのメインカートリッジはShure社の44Gになると思うんですよ。みんなが一回は手にする。そこがきっかけというか、始まりかもしれないですね。その音をもっと改造できないかと思ったんです。このカートリッジカバー(筐体)の開発メンバーの一人は家具職人であり、実は友達のお父さんなんです。材料は仕入れて5年乾燥させて、日本の四季を覚えさせるんです。とにかく100年もつものを作るというのが彼のコンセプトの真髄で、その話を聞いた時にこの人と仕事をしたら楽しいだろうなと思いました。 ― じゃあ、その方と会ったのが先で木を使うというのが後ですか?実は44Gに木を載せるという、似たような製品が海外も含めてたくさんありました。僕もいろいろ試聴してみましたが、サウンド云々というよりルックス重視が多かったんです。どうせなら、見た目も音もよくならないかなと思った時に縁があり、その後僕が工房を訪ねました。彼はオーディオ製品として既にスピーカーを手掛けていました。材として合板の方が強度が出るしコストも抑えられるので、それを言うと、「合板だといつか接着面が剥がれて形が変わる。むく材なら100年経っても崩れない。使えば使うほど、どんどん良くなっていくものにしか興味がない」って答えたんです。それを聞いた時、この人しかいないとなりました。 ― 現時点ではこの木製カートリッジカバー(筐体)が材質別で4種類とその他には何を扱われているのでしょうか?開発の途上でPCOCC-Aというリード線を探していました。なかなか見つからなかった時に、ひょんなご縁でそれを扱われている人と知り合い、その方もチームに加わわり、これはいけるかなと思えたんです。現在、バランス重視とグルーブ感重視の二人の職人さんに支えて頂いてます。お蔭でうちのリード線はレコードの持っているパワー感がスッと出ると自負しています。― リード線の試聴会もなさっているとか?リード線は種類が豊富ですから。毎月1回ここで行なってます。5人も入れば満席ですが(笑)。今月は22歳の女性にもご参加頂きました。 『個性が出過ぎたり、存在感を感じさせてはダメなんです』 ― 今後の開発計画とかはお持ちですか?まだまだ行きます。これまでの44Gのもっと先の音が表現できると思っているんです。オリジナルの限界みたいなのを感じていた時期もありましたが、JICOさんの昨今の取り組みを見てまだ行けると思えたんです。何よりも一番中心にはレコードがあるんです。我々の製品は個性が出すぎたり、存在を感じさせたらダメなんです。どこまでもレコードのパフォーマンスを支える土台でないといけません。うちの職人さんに言わせると、我々は江戸前寿司屋さんみたいだそうです。彼らは生で食べてもおいしいネタに、ひと手間もふた手間もかけて、素材の良さを最大限に引き出す、そんなところが似ていると。― それでは、お薦めの一枚を教えて下さい。坂本龍一さんの「B-2 Unit」です。たまたま近くにあったのでこれを手にしましたが、坂本龍一さんの作品はどれが一番とかではなく、どれを聴いても常に刺激をもらえるのでとても好きです。― あなたにとってアナログレコードとは何ですか? https://youtu.be/LJH0k6Ia-cI 『インタビュー後記』店主の組嶽氏のお人柄なのか、とにかく居心地がよく、取材中ずっと気持ちの良い音を聞かせて頂きました。直ぐ近くの神社に集まる小鳥の囀りも程よくミックスされて、こだわりすぎない自然な空間が魅力でした。何事も「素直で、奇をてらわず、やり過ぎない」そんなスタンスが長続きの秘訣かもと勉強になりました。 組嶽陽三 (くみたけ・ようぞう)島根県出身1967年生まれ。渡米の際にレコードにハマる。帰国後長岡鉄男さんの自作スピーカーにもハマり22年間レコード屋として日々奮闘中。 EAD Record   http://www.eadrecord.com東京都杉並区高円寺南4-28-13 TEL&FAX:03-5306-6209営業時間:午後1時~午後9時 定休日:火曜日...

「ライブの音が苦手なんです」アナログレコードを愛する人々 第10回

オーディオに携わる方、職人の方にインタビューする企画です。第10回は、鳥取の鐵工所 松田安鐵工代表の 松田 安弘 氏。「隣の部屋で誰かがかけた音楽を偶然耳にするのがいい」そうです。 『レコード芸術が大好き』 ―個人のお客様向けに鉄製品を作られていると伺いましたが?鳥取県のそれぞれの会社の特徴を活かしたモノづくりを、工業用じゃなく家庭用として発信しようという取組みがあり、県出身の著名な工業デザイナーが中心となって作ったものです。デザイナーさんの意図通りに製造するのが難しく、製品化に至らなかった企画もあったようです。弊社も鋳物にマットな感じの塗装をするのが難しくて苦労しましたが、努力の末、鋳物のインテリア雑貨を作りました。私としては鋳物製スピーカーキャビネットを作りたかったのですが、重量ひとつが150kgにもなり、周りの反対もあり、あきらめました。昔のアメリカの劇場にあった感じのスピーカーを作りたかったのです。鋳鉄は音響製品に非常に向いていることを知っていますのでね。昔は重たい金属でスピーカーを作るという時代があったんですが、今では木製が主流になりました。 ―JICOをご存知だとお伺いしましたが?知人から聞いていて素晴らしい、いい仕事をされている会社だと10年以上前から聞いていました。レコードが大好きなものですから最近レコードが復活していてとても嬉しいです。私は実音じゃなくてレコード音が好きなんです。 『隣の部屋から聴こえるレコード』 ―レコードの音がお好きとは?生演奏(ライブ)の音が苦手なんです。周囲は騒音、雑音だらけだし奏者がミスるしで体に悪い(笑)。レコード芸術というのが好きなんです。カセットテープも好きですね。トロッと甘みのある音でね。 ―アナログの音がお好きということですね。そうですね。CDだと情報を「聞いている」感じです。レコード芸術というのは精神性を「聴いている」気がします。だけどレコードをオーディオセットの前で聞くのは好きじゃないんです。部屋で鳴らしているのを隣の部屋で聴くというのが一番好きです。 全て松田安鐵工で製作された商品。左からセロハンテープカッター、お香立て、香炉 ―それは、どういうことですか?自分でかけているのじゃなく、誰かがかけているのが偶然聞こえてくる位の距離感が心地よいのです(笑) ―音楽への道を断念されて家業を継承されたと伺いましたが?いやいや、そんなに深刻なものではないんです。あるレコードを初めて聞いた時に「こんな神業があるんだな。(自分では)出来ないな」と思いました。中学生の時に出会った戦時中のフランスの音楽なんですけどね。本当にびっくりしました。音楽(で食べていくの)があまりにも険しい山だと実感しましたね。 ―どのようにびっくりされたのですか?戦時中の音なので音色ではないですよ。テクニックです。あまりにもテクニックが凄いのです。しかもジプシーのギタリストで火傷を負っていて左手が二本指なんですよ。それなのにリズムタイトで隙がない演奏なんです。元々は*渡辺貞夫先生を尊敬していまして、まだ現役でライブをされていて凄いと思います。小学生の時に鳥取市民会館でのコンサートへ行ってから尊敬してやみません。最近では、90歳になられる**北村英治さんがものすごい演奏をされるんですよ。今の北村英治さんはベニー・グッドマンよりいい演奏をされると思いますよ。本当に美しい音です。 ―ジャズを中心にお聴きになられているのですか?そうですね。でもやっぱり世代ってこともあり、ビートルズを聴いてしまいますね。一音でもビートルズだと判るような、なんとも言えないあの***リッケンバッカーのバカみたいに軽いギター音と男性コーラスとは思えないユニゾンのような、三人の声が混ざり合っていてね。録音技術が良いのかなぁ。当時はあの録音芸術が最先端だと思っていました。全くの生の演奏ではないですよね。録音してからイコライジングして出来上がった音なのでね。それが僕は録音芸術だと思っています。だから生演奏が苦手なんですよ。生演奏というのは演奏を聴いているということだから、演奏者の思いに付きあわざるをえないでしょう。やっぱりレコードを隣の部屋で聴くっていうのがいいね(笑)。 ―漏れ聞こえてくるのがいいのですね。そうです。ホントにそういう感じ。あとね、ラジオから聞こえてくる温かみっていうのも好きですね。リクエストしていないのに偶然好きな曲がかかるっていう幸運感がたまらなく好きです。それも隣の部屋から聞こえてくる感じね。 ―どうしても隣の部屋からなのですね(笑)。皆さんには理解されないんですよね。なんのこっちゃってね(笑)。 ―レコードに出会われた頃のお話をお聞かせください。僕らの世代はみんな音楽が好きなんですよ。小学生の頃の歌謡曲を聴いたりしている時のジャズフレーバーのする音楽。たとえば****伊東ゆかり、*****園まりの音楽を聴いて育ってきました。最終的に******ザ・ピーナッツに出会うんですね。世界にこれしかないというハーモニーを聞き、音楽に対して妙な感情が湧くものだと知ったのです。小学生ですから人生のなんたるかも知らないですよね。ただその音楽を聴くことで悲しみや喜びとを味わうことが出来ると子供ながらに感じたんです。それから音楽の楽しさを知りました。 たくさんの鋳型が積み上げられている鐵工所内。 『力みのない洒脱な感じ』 自分が生まれる前のものが大好きです。特に室町時代の頃。室町時代って趣味が渋いでしょ。現代の人間に比べたら大人ですよね。人間は後退していると思いますよ、特に美意識は。日本の芸術ってダビンチ的なアートじゃないですから、職人的なもので、自分を抑えた感じで良い風合いが出ていると思うのです。 ―悲哀というか侘び寂びな感じがお好きなのですか?そうです。侘び寂びですね。音楽に対してもそういう気持ちが有ったのかもしれません。ビートルズの曲の中でもジョン・レノンの力みのない洒脱な感じか好きです。彼はきっと鼻歌みたいにして作ったんじゃないかと思います。そうじゃないとあんな曲は作れないですよ。それに比べ、ポール・マッカートニーは力んで作ったに違いありません。あれだけ長い曲を作る人ですし、天才ですよね。ポールみたいにあんな長いメロディーを書ける人はいない。ワンフレーズ無駄なく隙なく綺麗なメロディーです。 『機械と音楽と自分と』 ―ここまでお伺いしていて、とても繊細でいらっしゃると感じたのですが、それがお仕事に通ずるのでしょうか?工作機械を使って削る作業は楽器演奏に近いと思っています。削る音なんかもそうですが、製品完成のゴールに向かって、いろんな方法や色んな道があります。どの道を選ぶかというのが「自分のテイスト」なんですよ。音楽も同じです。「機械VS自分、音楽VS自分」、似ていると思います。やはりレコード芸術っていうのは楽器演奏だと本当にそう思います。 電気炉で約1400℃まで熱した鉄を炉から出し、手酌で型に流し込む様子。 ―ところで、社名の「松田安」というのは?代々屋号のように松田安なんとかという名前を皆つけていました。私の倅にも松田安を付けたのですが、倅は自分に息子が出来ても付けないと言ってます(笑) ―ご創業はいつですか?曾祖父が創業し、今年で122年です。しかし曾祖父が早くに亡くなり、祖父は鍛冶屋へ丁稚奉公に行って一年ぐらいで覚えて跡を継いだ様です。 ―お気に入りの一枚を教えてください。ジャンゴ・ラインハルトの「Django Reinhardt」です。中学生の頃に聴いたこの演奏に、衝撃を受けました。 ―あなたにとって、アナログレコードとは? https://youtu.be/v1gHDwqHA9M ...

「リード線で本当に音は変わるのか?」アナログレコードを愛する人々 第9回

アナログレコードを聞くための機材を製作されている方にインタビューする企画です。第9回は、シェルリード専門工房 KS-Remasta 工房責任者 柄沢 伸吾 氏。シェルリードの製作に用いる「刃物の切れ味で音が変わる」そうです。 『輸入盤屋さんの匂いが心地よかった』 ―マライア・キャリーのレコードが沢山ありますね。 そうですね。ほとんどあると思います。 ―それに、ものすごい数のカートリッジを大切にケースに収納されてますね。 財産になりますかね。(笑) このケースは、もともとミニカー用なんです。色々とサイズがあるのですが、蓋を閉めても中でヘッドシェルが暴れないものが良いです。 ―レコードに興味を持たれたのは? 初めて買ったEPレコードは、山口百恵さんの「プレイバックパート2」です。小学生の時に買いました。LPは甲斐バンドの「甲斐バンドストーリー」。中学二年生ぐらいから洋楽を聴きはじめ、高校生になると輸入盤を買うようになりました。特に輸入盤屋さんの匂いが、なんとも言えなく心地よかったです。 あの匂いはなんて説明したらいいのか。輸入盤だから勝手に外国の匂いと思い込んでいたんだと思います。今でもするのかな、あの匂い。 『改めてレコードの音の良さにビックリ』 当時はレコードよりCDが高かったんです。たぶんCDの方が音がいいんだろうなと思いながらレコードを我慢して聴いていた時期もありました。30歳ぐらいの時に改めてCDとレコードでマライア・キャリーを聴き比べると、レコードの方が圧倒的に艶やかで、ダイナミックで、空間を満たす感じが見事でした。 ―シェルリード線を作ろうとされた経緯についてお聞かせください。 社会に出てカートリッジを買えるようになった頃、欲しいと思っていたカートリッジが製造中止になったんです。それをきっかけに「今買っておかなくてはなくなってしまう」と思いました。30個ぐらい買った時に「このカートリッジたちの音を素直に出してくれるリード線がほしい」となったんです。 リード線もお手頃の物が手に入らなくなり、「メーカー付属のリード線でちゃんと音が出ているのだろうか?」と疑問を抱きました。1,000円程度で市販されているものは、特徴的で明るい音でしたが「素の音じゃない」と感じていました。そのうち海外製で4,000円の物が発売されました。だいたいカートリッジを買うときはヘッドシェルまで買うじゃないですか、ヘッドシェルまでは買えてもリード線までなかなか買えなかったんです。発売されたその海外製のリード線で聴くとすごく上品できれいな音がしました。 やはりこういうので揃えたいと思ったのですが、30個あるカートリッジすべてを揃えるのは、ちょっと大変だなと思い、何度もハンダ付けを失敗しながら自作したのがきっかけです。 『ハッとする時とそうでもない時』 ―その当時は電気の知識やハンダ付けの技術をお持ちだったのですか? 全くといっていいほどありませんでした。だから最初は上手くいきませんでした。そんな時にスピーカー自作のサークルでスピーカーターミナルのところをハンダ付けしている工程を見たんです。オーディオ中古店で手際よくハンダ付けをしているのも見ました。とにかく、真似をするしかないと続けていると少し形になったんです。その頃シェルリード線についてアドバイスしてくれる方に出会いました。その方との出会いによって、今の基礎を築くことができました。 少しずつお客さんにも知られるようになりました。オーディオ誌にも取り上げられ、とても良い評価を頂きました。それで屋号を「KS-Remasta」として立ち上げました。高評価を得た製品はヴィンテージワイヤーを使用した製品でした。ヴィンテージワイヤーをハンダ付けするとき、エナメルを刃物で剥がす工程があります。素材を厳選していたことはもちろんですが、この工程を丁寧に行っていたことが、高音質に結びついていたんだと思います。 ―丁寧っていうのは、どの位の差なんですか? 良く切れる刃物でエナメルを念入りに少しずつ剥がすということです。別に丁寧にしなくてもハンダもつくし、音も出るのですが、仕上がりが気に入らなかったのです。でも今思えば丁寧に行っていたからこそ僕のリード線は音が良いと評判になったんだと思います。ある時、その刃物をデザインナイフから医療用メスに変えてみました。最高級のリード線というのは、とても細く、髪の毛ぐらいしか太さがないんです。このモデルのリード線は糸で被覆してあり、その上のエナメルを剥がすのですが、医療用メスに変えると、とても音が良くなったとユーザー様から言われたんです。 なんで良くなったのか、その時は自分でもよく分かりませんでした。別のコーチからある時「ハッとするぐらい良い時と、そうでもない時がある」と言われました。その時は、フラッグシップモデル・Legendを完成させたかったのでバラツキがあってはならないと思っていたんです。そして「刃物の切れ味で音に変化が生じる」と閃きました。 『安来鋼、安来白一鋼にたどり着く』 調べてみると、錆びる鋼、「*安来鋼」の刃物が切れ味に優れていることがわかりました。その中でも日本刀に使われる玉鋼に一番近いとされる「安来白一鋼」にたどり着きました。これを探すのが大変だったんですが、ネットオークションで刃物のカテゴリーではなく骨董品で売ってるのを見つけたんです(笑) 『ハンダがのるスピードが速い』 この白一のメスに変えてからハンダののるスピードが格段に上がりました。良いハンダ付ではハンダの「のりがいい」という表現を使いますがさらに先の感覚です。導体の表面をハンダが「ぴゃーっ」とストレスなくハイスピードに滑って行くんです。この感覚は導体の表面を鏡面加工を施したStageシリーズで覚えがありました。ここまで導体の鏡面加工精度を上げているのは、未だ耳にしたことがありませんので、他に経験された方はいないのではないでしょうか? 元々はエナメルを残しのないように剥ぐ目的でやっていたはずが、導体を(新品状態より)きれいに磨き上げていくという役割に変わっていったのです。その効果はピュアで澄み切った純度の高いサウンドとして現れました。さらに鋼の探求を続け現在は他の鋼(KS-Remasta No.4)を採用し、それを研ぐ砥石、工程も研鑽を続けています。余談ですが「鏡面加工精度をあげた導体**」って、手袋して触ってもドキッとするほど「しっとり」した感じなんです。 ―結局、レコードを聴いた時に、聴こえなかった音が聴こえるってことですか? もちろんそれもありますが間接音、雰囲気、気配といった言葉で表現しにくい微細な成分が豊富に浮き上がってきます。導体を研ぎ澄まし磨きあげていくというのは限りなく微小な信号を通過させるのに極めて有効な技術と確信しています。逆に言えば凸凹の導体では微小信号が迷子になって通過しにくいと推測します。私にとってアナログの最大の魅力は限りなく微細なことをどこまでも「無かったことにしない」ってことです。カートリッジがリード線の加工精度を上げると、どんどん良くなっていくんです。愛機(カートリッジ)は、それだけ音を拾っているということなんです。そして磨けば磨くほど、なんか面白い事になるんです。これからも「これ以上できない」ってものを作り続けたいです。 ―あなたにとってアナログレコードとは何ですか? https://youtu.be/IiKTHBWe60o * 雲伯国境地域「現・島根県/鳥取県境」における直接製鋼法で出来た鋼の総称。古来の正統的和鋼として、同地方の奥出雲町では年に数回の古来の「たたら吹き」製法により玉鋼がつくられ日本刀の原料として全国の刀匠に配布されている。 **KS-Remasta ではヴィンテージワイヤーを使ったVWSシリーズの他、導体の表面を手作業による鏡面加工を施したStage シリーズがラインナップされている。 VWSシリーズで導体の表面を刃物で磨き上げるのはハンダ付けするわずか2mm弱の部分。 インタビュー後記取材当日、バス停までわざわざ迎えに来ていただいたうえに、思いがけず"絶品牛すじカレー"をご馳走になりました。隠し味に牛骨テールを細かく砕いて入れているとか。きめ細やかなお心遣いと"ひとひねり"がそのままモノづくりに反映されており、手持ちのカートリッジに柄沢さんのリード線をつけて聴いたところ、上品な音に変わったと実感しました。 柄沢伸吾(からさわ・しんご)1966年12月生まれ東京都立小石川工業高校 電気科 卒業電気工事店 就職2012年1月に、シェルリード専門工房 KS-Remasta(ケーエス・リマスタ)を開業 シェルリード専門工房KS-Remasta ホームページhttp://www.ks-shell-lead.biz/シェルリード専門工房KS-Remasta ハイエンドシェルリード専門ネットショップhttps://ks-remasta.welf.biz/Twitterhttps://twitter.com/KsRemasta...

アナログレコードを愛する人々第8回 PLATANUS フォノカートリッジデザイナー 助廣 哲也 氏

第8回は、自身のオリジナルブランド「PLATANUS」でフォノカートリッジデザイナーをされている助廣哲也氏へのインタビューです。音楽を聴く際には「オーディオ機器を感じたくない」とのことです。 『父にもらったアナログプレーヤーで』 ―アナログレコードに興味を持たれたのはいつ頃でしょうか? 興味を持ったのは、、子供の頃はまだギリギリアナログレコードが普及している状況だったので、家に(レコードが)あったり姉が貸レコードを借りてきたりしていました。9つ上の姉がおりまして。小5ぐらいになって父にアナログプレーヤー一式をもらいまして、その頃からですね。 ―初めてご自身で買われたレコードは? 荒井由実の1stアルバムですね。フリマのようなところで買いました。 ―DJもされていたって本当ですか? 本当に昔、若い頃にやっていました。渋谷の宇田川にたくさんレコード屋さんがあった頃はよく友人とレコードを買いに行ったりしていました。 ―レコードをどれぐらいの頻度で聴かれていますか? うーん。3日に1度は製品の試験も兼ねて。 ―一回にどれくらい聴きますか? どれくらい聴いているんだろう。何時間も聴きますね。何個もまとめて試験するので。 ―仕事できくレコードとプライベートできくレコードでどのような違いがありますか? プライベートですと一日中聴いていますね。半分仕事の頭で聴いてるところもありますけどね。境目がないので。何かしながらは聴きません。ずっとスピーカーの前で聴いています。何かしながらの時間はレコードを聴く時間には入れていません。 ―聴くときは聴く!と決められているのですね。でも、疲れませんか? 疲れます(笑)。 ―プライベートで聴かれるレコードはどんなジャンルがありますか? なんでも聴くんですけれど…古いジャズも聴きますし…あまり新しいものはないので。POPSも聴きますし。クラシックもありますし、いろいろですね。製品開発の時はどんなジャンルも聴きますね。 ―製品開発試験で聴くのに必ず外せないジャンルなどはありますか? ジャンルというか、曲のこの部分がどういう風になって欲しい、みたいなのがあるので。そういうのの聴き分けがしやすいものを自然と聴いていますね。仕事では。 ―レコードは何枚ぐらいお持ちですか? ここ(自宅)には本当に少ししかないんですけど。何枚あるんだろう。実家にほとんどおいているので。数えたこともありません。万はないと思いますけど、千はあると思いますね。 ―レコードはどこで買うんですか? レコード屋さんですね。あとはハードオフとか。ネットでも買いますね。 『何が求められているのかを研究』 ―お仕事の内容についてお聞かせください。 フォノカートリッジやトーンアームの製造、設計が主です。 ―トーンアームの設計ってどこから考えるのでしょうか。例えば形から入るのか性能から入るのかどちらでしょうか。 性能の方ですかね。 ―カートリッジ開発は趣味で始められたんですか? カートリッジのパーツを製作する会社にいたので部品は作っていましたが、製品にまではしていませんでした。最終的にどういう使われ方をするのか知っておかないといけないなと思いまして、僕は勝手に色々設計したり実験したりしていました。言われたことをしているだけじゃトンチンカンなことをしてしまっても気づけないなと。何が求められるのか、部品の精度とかクオリティーとか。そういうのが気になりだしてそのあたりから自分で研究し始めましたね。 ―ご苦労話を教えてください。 苦労話は、、お金がかかる(笑)。部品が高いですね。数が出るものじゃないので、削り出しで作ったり。なので在庫がはけるまではドキドキですよね。個人ですから。 ―プラタナスファンの方もいらっしゃると思うのですが、助廣さんが出されたカートリッジなどは問答無用で全部買う、みたいな方もいらっしゃいますか? いらっしゃるのかどうか…(笑)。 工房の様子。細かい部分も綺麗に整頓されており助廣氏の人柄が窺える。 ―完全フルオーダーメイドを作って欲しいというような要望はあるのですか? そうですね。滅多にいないですけども。海外のお客様はそういう方いらっしゃいますね。 ―部品とかも一個から発注になりますよね。そうなるとお値段がすごいことになりませんか? そういう方は値段は気にしないみたいです。いくらかかってもいいから誰も持っていないものが欲しいという方はいらっしゃいますので。 ―今までで作られてきたカートリッジはいくつくらいあるのですか? プラタナスで出したカートリッジは2つしかないですけど。設計だけとか製造だけ担当したものを入れるとかなりありますね。 ―一年間でどれくらいの数のカートリッジを発売されるのか決めておられますか? 特に決めていないですね。自分の名前で出すものに関しては。あまり商売っ気がないと言われるんですが。 ―お仕事が重なって忙しいシーズンもあるんですか? 大変なシーズンはありますね。だいたいオーディオショウの前なんかは、部品がギリギリになったりするので。ミュンヘンのショウだったり、アメリカのショウだったり。 ―そういう時は寝ずにやったりもするんですか? それをやってしまうととクオリティーに問題が出る場合があるので寝ます、ちゃんと(笑)。普段から詰め込まないようにしているので、忙しいときにちょうど良くなるくらいにしないと、焦ってやって失敗すると、お金が…途端に…(笑)。 『オーディオ機器に存在を消してもらいたい』 ―ところでMCカートリッジのマーケットってどんな感じでしょうか。 アメリカが大きいとは聞いています。アジアは最近伸びていますね。(アジアは)レコードで音楽を聴くことも普及してなかったので、最近になって趣味のオーディオが出てきたときに、逆に今アナログが新しいメディアのような扱いを受けていると聞いたことがあります。 ―そうなると若い方の方が多いのでしょうか。 そうですね。お金を持っている若い方が多いので。 ―日本とは逆のような感じがしますね。 日本は40年くらい前のオーディオブームの頃に若かった人が、お年を召されて、ちょっとお金に余裕が出てきて、アナログ回帰現象が起きていますね。 ―カートリッジを設計されるときに、こんな特徴を持たせようというようなことを意識されて開発されるんですか? プラタナスに関していえば、僕の趣味を反映しているようなところがあります。オーディオ機器を楽しむというよりはオーディオ機器に存在を消してもらいたい願望があるので、そっちの方向ですかね。 前職の退職金がわりにもらったというトーンアーム。 ―オーディオ機器に存在を消してもらいたいとはどういう意味ですか? オーディオで音楽を聴いているな、というのが好きな方もいらっしゃると思うのですが、そうではなく、音楽と対峙したいのです。僕はあまりオーディオ機器を感じたくないのです。趣味、スタイルは様々あると思うんですが、僕は基本そうなんです。 ―開発製造のポリシーみたいなものはありますか? ありきたりなんですけど、ユーザー目線ですかね。最終的に買って使ってくださる方のことを一番考えています。その値段でこのクオリティで自分は買うか、と。安いものでも24万とかするわけで、、MacBookとか買えちゃうんですよ(笑)。MacBook買わないでレコード針に24万出すってのは、すごいことだと思うんですよ。そのクオリティがあるかどうかはいつも考えています。高そうにして高くすれば売れるから売るっていうことじゃないんですよ。 ―PLATANUSの名前の由来は? 元々の住まいの最寄駅がすずかけ台という名前だったんですよ。スズカケノキの木はプラタナスの木なんですね。独立した時に屋号を決めていなかったので、領収書を切る時に、助廣で、って言っても通じないんですよ(笑)。めんどうくさいなと思って、プラタナスにしとこうと思ってとりあえず決めたものがブランド名になりました。 『"もの"としての魅力』 ―今世界的にアナログブームがきていますが、この流れについてどう思われますか? うーん。そうですね。あんまりその影響を感じたことがないんですけど。データだけで音楽のやりとりができる時代になって、あえてアナログに注目が集まるというのは、"もの"としての魅力を感じているんだろうなと。データの入れ物としてみた場合には絶対デジタルの方が優秀なので、そこじゃないんだろうなと思っています。ジャケットもこんなデカイですし。手にできますからね。そういうところが注目されているのかなと思ってみています。 ―今後の流れはどのようになっていけば良いなと思っておられますか? アナログレコード自体は全くなくなることはないと思っているので、趣味のものとしてしぶとく残ってもらえたらいいなと。すでにそのようになっていると思うんですけど、より多くの人に楽しんでもらえるといいなと思っています。 ―最後に、あなたにとってのアナログレコードとは? https://youtu.be/nU1PGXKaZ6k インタビュー後記閑静な住宅街の一角にあるシンプルかつおしゃれなご自宅兼工房は、まるでアトリエのようでした。インタビュー後、PLATANUSのカートリッジで荒井由実さんの「ひこうき雲」を聴かせていただくと、「ユーミンはサ行が歪みやすいので検査用レコードにもってこいなんです」と、真剣な表情で聴く姿にオリジナルMCカートリッジへの情熱と、とことんユーザー目線に拘られる姿勢を感じました。 助廣哲也(すけひろ・てつや)1979年 東京生まれ。幼少の頃より機械の仕組みや音にまつわることに興味を持ち、楽器作りやフィールドレコーディングに夢中な少年時代を過ごす。中学在学時にバンド活動を始めると、関心の幅は音だけでなく音楽にまで広がる。高専で電気工学を学んだのち、2002年よりハイエンドオーディオ機器の受託製造会社に勤務。トーンアームやフォノカートリッジの設計製造に携わる。2012年に独立し、PLATANUSを設立。PLATANUS:http://platanus.tokyo...

アナログレコードを愛する人々第6回 音楽之友社 「stereo」編集長 吉野 俊介 氏

第6回は、オーディオ誌「stereo」の若き編集長として活躍されている吉野編集長にインタビュー。ロックを愛してやまないという同氏。お小遣いは全てレコードに費やすそうです。 『ロックが子守歌でした』 ―早速ですが、吉野編集長にとってレコードとの関わりはいつ頃からですか? 喋れるようになる前です。物心がつくかつかないかの頃には、父が聞いていたレコードが家の中でずっと流れていました。50年代~70年代のジャズとロックが中心でした(笑)。 ―その後、音楽の嗜好は年齢と共に変化しませんでしたか? 僕にとってロックは子守歌みたいなもんだったんで。様々なジャンルを聴きますが、根幹にあるのはアメリカンロックです。 『自由な環境で好き放題やらせて貰っています』 ―編集長になられたのはいつ頃ですか? 昨年です。10年間ずっと「stereo」編集部にいまして、そのまま編集長になりました。 ―編集チームはピラミッド構造の組織ですか? 雑誌って4、5人くらいで作っているんです。それぞれが一人で取材しまくって。だから編集長とそれ以外の編集者といった組織です。この業界は歴史が長いので、筆者も編集者もみんな自分より年上の方ばかりです。 ―「stereo」誌に決められたカラーというか方向性みたいなものがあるとして、編集長になられて少し自分色を出したいといった自由度は許されているのですか? うちの会社って基本的にクラッシックの専門出版社なんで(僕は一切聴きませんが。笑)、オーディオ専門の人が少ないんです。オーディオ記事については、アンプがどうのこうのといった(オーディオ色の強い)マニアックな企画も通りやすく、自由な環境で好き放題やらせて貰っています。 『オーディオと音楽を繋げたい』 ―では雑誌の切り口を変えられたのですか? 従来のオーディオ雑誌のやり方として、オーディオ評論家によるオーディオ製品の評価記事を掲載するというのが中心でしたが、このご時世、そんなに何台も高級なオーディオを買い替えることってできないじゃないですか。なので、もっとユーザーの視点に立って、たとえば一般のマニアの人たちの家に行って、その人たちがどんな事をやっているのかというのを取材し、生活感あふれるリアルな部分で、音楽とオーディオの接し方みたいなものを重視して取り上げるようにしています。なので一般の方々を積極的に取り上げる様にしましたし、「音楽マニアだけどオーディオはそこまで」というライターやミュージシャンなどにも、オーディオを通して、録音と再生のクオリティを体験してもらうというようなことをこれからもしていきたいです。オーディオ評論ももちろんデータとして重要ですが、試聴室での厳密な比較だけではなく、生活空間というリアルな部分を出していきたいんです。音楽とオーディオって切っても切り離せないものだと思っているんですが、それがいつの間にか切り離されて、オーディオマニアと音楽マニアに線引きがあるみたいな。その両者をもう一度繋げたいんです。それしかないです。 ―オーディオマニアと音楽マニアという分け方をされましたが、男女というのはどうですか? 読者は99.9%男性です。だからまずは「奥さんと一緒にやろう」みたいな流れにしていきたいです。(オーディオは)男の密室の世界ですから。それを「リビングで一緒に聞こうぜ」にしたいんです。試聴室でじっくり聞くのも好きなんですが、そうじゃなくてもっと生活空間の一部にしたいんです。 音楽之友社のすぐそばにある、時間帯によって標識の方向が変わる珍しい交差点。 『朝起きたらまずレコードをかけます』 ―プライベートでのレコードとの関わり方はどんな感じなのですか? 朝起きたら先ずレコードをかけます。そうしながら朝ごはん作って。 ―朝からロックですか? 大体そうですが、ジャズやソウル、ブルース、アンビエント、なんでもござれです。まず目が覚めたら何を聴くか考えます。洋服みたいな感じでその時の気分です。朝ごはんを食べて、準備して、家出るまでずっとかかってます。 ―そして会社に来てからもまたレコードですか? そうですが、仕事モードになると聞き方が違います。音に集中して聞く聞き方です。家ではBGM的に聞き流すことが多いです。うちにはテレビはないし、オーディオだけ置いてあるって感じです。 ―テレビがなくても奥様は問題なしですか?オリンピックとかどうするのでしょうか? 問題ないみたいです。オリンピックはネットニュースを見るくらいで(十分でしょう)(笑)。 ―映像のライブ感(生中継)にはあまり必要を感じられないのですか? まぁ、見てもいいですけどね。どっちでもいいかなって感じです。とにかく中学生くらいから入ってくるもの(お金)は全部レコードに使って、バカみたいに聞いてきました。 ―今もなおですか? 今も小遣いは全部レコードです。 ―ジャケ買いもされますか? たまにしますね。でもジャケ買いで当たった事はほぼ無いです(笑)。 ―同じレコードを何枚も買われることはありますか? それはあんまり無いですね。状態が悪くて買い直すことはありますが、基本はオリジナル盤が1枚あればOKです。アメリカのミュージシャンだったらアメリカのオリジナル盤って感じです。あまり*マトリクスとかは意識していません。 音楽之友社 視聴ルームの機材。 『合う音楽が流れていたら、ラジカセでも良いんです』 ―仕事をされる前と今とでは音楽の嗜好は変わりましたか? いや基本は変わってないです。環境から不意打ち的に、クラシックでいいなぁと思う事もあるのですが、核となるものは子供の頃から変わらないですね。 ―プライベートでオーディオ機器自体も買い替えたりされるのですか? 故障した場合とか、これは面白い!と思うものに出会うと買います。 ―ではハイレゾについてはどうですか? 僕が聞く音楽が60年代から70年代くらいのものなので、当時のマスターテープはもちろんアナログでした。それらの音源を無理やりデジタル化してハイレゾにしても違和感があるんですよね。最新の音源を聞くんだったらハイレゾはいいと思います。だから自分にはほぼ必要ないんです。デジタルだったらCDが気楽に扱えるのでCDでいいかなという感じです。基本的にパッケージものが好きなんで。メディアの形態がどうであっても、自分の好きな音を自分で探すというのは本当に面白いですよ。そうすることでどんどん音楽に入り込んでいくんで。その多様性、選択肢がオーディオの面白さでもあります。 ―カセットができたから、CDができたからといった様に、聞けるオーディオ環境が変わったから、音楽も変わってきたと言えるでしょうか? それは間違いなくあるでしょうね。でも正直、僕にとって、進化して音が細かく聞こえるようになった、とかいうのはどうでもいいんです。別にラジカセでもいい音楽というか、それに合う音楽が流れていたら良いわけで。今、そういう時代に入ってきているんじゃないでしょうか。音楽ってやっぱりグルーヴじゃないですか。 ―SpotifyとかAmazon musicのような最近の音楽配信サービスについてどう思われますか? 僕も結構利用していますよ。移動中なんかにも聞いて、これは!みたいな楽曲に出会うとレコード探します。自分が知らなかった音楽を(自分の嗜好傾向から)教えてくれるし。別にアナログ原理主義者でもなんでもないですから(笑)。味見みたいなもんです。ツールとして使いようだと思っています。 『一度オーディオを辞めていた人が戻ってきている』 ―「stereo」誌に10年間いらっしゃってみて、読者のニーズが変わりましたか? オーディオ業界は斜陽産業だと言われてきてますが、実は、最近「stereo」は上がってきてるんです。一度オーディオを辞めた人がまた戻ってきているという現象が起きてます。 ―まだまだレコードもいけるという認識でしょうか? 全然いけるんじゃないでしょうか。いくらでもやることがあると思います。音楽を聴く人がいなくなることは絶対ないと思うので、つまりオーディオもなくなる事は絶対ないので。 ―生のライブ演奏にはよく行かれるのですか? 最近は積極的には行かないかもしれません。ライブハウスの**PAから出てくる音というのもやっぱりオーディオじゃないですか。でもああいう所の音ってなんか疲れるんです。過剰なコンプレッサーは、音楽をジャンクフードにします。音楽を聞いて癒されたいのにしんどくなるのはどうも。(音量の)刺激は僕には必要ないんで。若い時はいいんですがね、30歳を過ぎるともういいかなって感じです(笑)。今は音楽の聞き方にも選択肢が多いし、どれも否定はしないです。ただ無料で聞いている若い人たちが多いけど、ちゃんと吟味してお金だして聞いてほしいと思います。YouTubeとかで聞いた気になっているのかもしれませんが、やっぱり、お金を払ってレコードなり、CDなり、ハイレゾなりで、自らのリスクを背負ってちゃんと聞いて欲しいです。ただ聴きで評価しちゃダメです。 ―吉野編集長からJICOはどんな風に見えているでしょうか? 今までは交換針を供給してくれている工場というイメージでした。これからはひとつのブランドとして育っていく可能性を感じます。JICOにしか出来ない事があると思います。 ―ありがとうございます。責任を感じます。ではお気に入りの1枚を紹介して下さい。 やはりこれです。グレイトフル・デッドの「Aoxomoxoa」。 https://youtu.be/Mpk-9pHQ-po *ここではマトリクス番号のことを指す。レコード盤を製造する際につけられる金型番号のこと。 **Public Addressの略で、音響機器のこと。マイク・アンプ・スピーカーなど、機器全般をまとめて指す。 インタビュー後記 無類のレコード好きである若き編集長は、オーディオと音楽の間に架け橋を築くという野望を燃やす情熱家でもあります。その語り口は至ってソフトですが地に足がついた現実主義者でもあると感じました。プライベートでのレコードコレクター活動も含め、「自分のやりたい事をやらせて貰ってるんで家内には感謝してます。」と話す横顔に「音楽のもののふ」の様な相貌を垣間見た気がしました。 吉野俊介 (よしの・しゅんすけ) 音楽之友社月刊ステレオ編集長。1985年生まれ。親の影響から幼少期から大型スピーカーやレコードがある環境で育つ。中学生からバンド活動とレコード蒐集に目覚め、3度のメシよりレコードという生活を送り今に至る。月刊ステレオには、大卒後の10年前にアルバイトで入社。好きなレコードが、最高の音で聴けるという天職に就く。ジェリー・ガルシアを信奉している。 ...

当社工場の職人へインタビュー(5)

名前:Y.T 勤続年数:11年 担当:梱包、カンチレバー加工、チップマウント 大切な商品がケースの壁にあたって破損しないように、ドーム型のカバーに入れて固定します。 - やりがいを感じる瞬間は? 丁寧な梱包をしたものをお客様へ発送出来て、お客様の手元に届いたときです。また、カンチレバーの加工およびチップマウントでは、一番最初の工程なのでとても責任を感じます。 印刷物が間違っていないか、ゴミが入っていないか、全て細かくチェックしてからふたをします。 - 難しい作業は? 梱包の際は、ケースに傷がないか、ゴミやほこりが入っていないか、品番に合った印刷物がちゃんと入っているかなど間違いが許されないことです。カンチレバーの加工では、傷を付けて不良品を出さないようにすること、チップマウントでは方向を確認して垂直に取り付けることに意識を集中しています。 テープも真っすぐピシッと貼ります。 ...

アナログレコードを愛する人々第5回 Turntable Troopers ENT. 代表取締役 DJ $HIN氏

第5回は、「Turntable Troopers ENT.」代表取締役のDJ $HIN氏にインタビュー。DJ/プロデューサーとしても活躍し、日本のDJ界を牽引されてきました。 『すぐにターンテーブルを買いに行った』 −音楽に興味を持ったのは? 一番古い記憶は「およげ! たいやきくん」のレコードです。子どもの頃、おじいちゃんのステレオでよく聞いていました。「ホネホネロック」とか(笑)。それと6歳上のいとこのお姉ちゃんが洋楽好きで、いつもカセットテープに最新ヒットソングを自分で編集して僕にくれてたんです。だから小学生からずっと洋楽ばかり聞いていましたね。 −DJをやってみようと思われたのは、いつ頃ですか? 高校2年生の時、まだ日本に入りたてだったスノーボードがしたくてスキー場のアルバイトに応募して長野県栂池のディスコでウェイターをしました。その頃まだ僕はダンスに夢中で、昼はスノーボード、夜はダンス、バイト代ももらえるしで、毎日最高でした(笑)。そこに同じ大阪から来ていたDJさんと仲良くなって「いつも、そこに立ってなにをやってはるんですか?」と尋ねたんです。そしたら親切に教えてくれて「これは、すごい!」となり、大阪に帰るなりバイト代と貯金を握りしめターンテーブルを買いに行きました。 『スクラッチとの出会い』 −衝撃を受けたのですね。 はい。大阪に帰ってターンテーブルを手に入れてから、DJの見習いに行きたいと思って長野で一緒だったDJさんに相談したら、「じゃあお店紹介してあげるわ」となって、見習いとしてDJをスタートしたんです。*ディナスティというディスコで働くことになり、初めてついた師匠がスクラッチが大好きな人だったんです。その方が僕に初めて**DMCの世界大会のビデオを見せてくれたんです。それで超感動してスクラッチってスゴイ!となって、そこからはずっとスクラッチです。ディナスティが閉店する時に師匠が「自分は家業を継ぐから、お前はツレのDJのところに丁稚奉公へ行け」と(笑)。その通りに丁稚奉公へ出るんですが、それがその当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのGM-YOSHIさんだったんです。 『天才であってもすごく努力している』 −Turntable Troopers ENT.を立ち上げられたのは、いつ頃なんですか? 若い頃から独立心は強かったですね。生意気だったと思います(笑)ただ若い頃は金もなかったんで、少しずつ貯金したりして(笑) 2003年に立ち上げました。 −今までにスクールで教えられた生徒数は、どれくらいいらっしゃいますか? 最初はDJスクールを楽器屋さんと組んで企画としてやってたんです。その後また別のスクールを立ち上げたり、その頃でも生徒数は250人近くいました。ある時、専門学校でDJ科を立ち上げるんでとお声をかけて頂き、講師を務めました。6年間くらい務めましたね。独立してからは16年ですが講師としては20年以上になるんで、はっきりとした数字はわからないですが、1,000人ぐらいだと思います。 −すごい人数ですね。生まれつきのセンスを持っていると感じた生徒さんはいらっしゃいましたか? いませんね。どれくらい続くかなとシビアな目で見てるんですよ。”化ける”という言い方をしますが、思いもよらない人が急に馬力を出すんです。僕の知る限り天才は***RENAくんぐらいかなぁ。天才であっても、もちろんすごく努力していますよ。 『ターンテーブリストとしての気概』 −ターンテーブリストという表現はいつ頃からあるんでしょうか? 1990年代の半ばに、アメリカの****ビートジャンキーズのメンバーであるDJ Babuが最初に言ったとされています。それまではDJとかスクラッチャーとか言ってましたね。 −ターンテーブリストとしての自負というか、PCを使用しないアナログDJとしての気概ってありますか? ターンテーブリストと名乗るのであれば、人一倍上手にターンテーブルを扱えないとダメだと思うんです。バンドにターンテーブリストとして参加する時にどんなパフォーマンスができるのか、歌手のバックDJをする時にどんなパフォーマンスができるのかとか、その時々で求められる技術は違うと思うんです。自分が思っていることができるように、日々鍛錬しておかないとダメだと思います。 −$HINさんご自身は、毎日ターンテーブルを回されているのですか? スクールでレッスンがあるので、今でもほぼ毎日触ってます。自宅にいるときはぼけーっとゲームとかしてますけど(笑)。 −ご自宅にもターンテーブルが? 置いてますよ。いつ何時アイデアが降りてくるか分からないので。 −今までに購入したレコードは何枚ぐらいですか? 何枚ぐらいなんですかねぇ。数えるんでちょっとだけ待っててもらえますか?(笑)。でもキャリアの割に僕は少ない方だと思うんですよ。なんで少ないかと言ったら、コンテストに出るための練習には基本2枚あれば事足るんですよ(笑)。それが何ペアかあればずっと練習しているので。それでも、ざっと10,000枚くらいはあると思います。 『夢のおもちゃ』 −昨今のDJ業界というか、ご自身を取り巻く環境についてお聞かせください。 1980年代にスクラッチが日本に入ってきて、先輩方が色々と試行錯誤を繰り返されたのを僕たちが継承して伝えている訳なんですが、今はポータブルレコードプレーヤーでスクラッチが出来る。いわゆるおもちゃですよね。”おもちゃ以上プロ仕様未満”がちょうどいいんですよ。1960年代以前からポータブルのレコードプレーヤーはありましたが、それに*****フェーダーを付けるだけで楽器になっちゃったんです。これが僕らからすると”夢のおもちゃ”なんですよ。小さい頃から子ども達に、こういうので楽しく遊んでもらって、プロのDJを目指してもらえたら嬉しいです。ただ、もっとDJの仕事ができる環境が増えればいいなとは思いますね。 『かっこいいと思う方向へ』 −スクールだけに留まらず、製品企画や楽曲制作など様々な活動をされてますね。 そう言われればそういう人はあまりいないですね。珍しいタイプだと思います(笑)誰もやった事無い事をするのが好きなんですよ。興味があることにはとことん突っ込んでやります。製品の企画とかも自分が好きで(DJを)やっているので、こんなの欲しいな的なアイデアはいくらでも出てきます(笑) −DJスクールの在り方についておしえてください。 お金を持っている企業がスクールなどをやりだしましたが、二つの方向へ分かれて行ってると感じますね。ターンテーブリストがやってるスクールとそうじゃない人がやっているものとではレッスン内容が大きく違います。でも、それぞれがかっこいいと思う方向へ行ったらいいと思います。クラブやフェスとかで盛り上げる方が良いと思えばそっちへいけば良いし、僕らみたいにコンテストやバトル、寡黙にスクラッチをやっているのがかっこ良いと思えばそれで良いと思います。 −ご自身がDMCなどの大会に出場されていたのは? 1993年あたりから1999年にかけてです。 −その当時はDJの大会は、どんな大会がありましたか?また、日本人のDJはどんな感じだったのでしょうか? 今残っている大会はDMCぐらいじゃないですかね。その当時から日本人は本当に努力してきて、GM-YOSHIさんやDJ HONDAさん、DJ TA-SHIさん等、世界にランクインされている方もいらっしゃいました。みなさん努力家で繊細ですね。今ではDMCでも常勝国として認知されるほどになりました。 『自分を信じて、自分のスタイルで』 −これからDJを始める方やプロDJを目指される方へコメントをください。 技術的なものは、独学よりも習う方が良いと思います。身につけた技術をどう使うかなんです。他人のスタイルを参考にするのは良いですが、それを真似るのではなく、自分を信じて自分のスタイルでやるべきです。人に流されると二番煎じ、三番煎じになってしまう。誰もやっていない事をやる方が良いです。 https://youtu.be/UScAlzi6dQs *1985年に大阪宗右衛門町にあった、ステーキが美味しいと評判だったディスコ**世界一のDJを決める大会***若干12歳にして「DMCJAPAN2017」を制覇し同年10月にロンドンで開催された”DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIP”に出場し過去最年少で世界王者になったDJ****1992年に南カリフォルニアで結成されたDJ、プロデューサー集団*****DJミキサーなどに用いられている音量やエフェクトの出入力のレベルなどを設定するツマミ。ここでは、2つのチャンネルを切り替えることができるポータブルクロスフェーダーのことを指す。 インタビュー後記 DJに対しての昔からの一般的な既成概念を覆させられました。なにか、噺家の世界観を彷彿とさせるような経歴と思想、そして日本のDJ業界に対してしっかりとした持論と教養も持ち合わされておられたのに驚きました。今まで個人的に抱いていた「チャラチャラとして不健康そう」というイメージとは正反対でした。なにより先人達に対しての尊敬を忘れず、いつも謙虚な姿勢に頭が下がる思いがしました。$HINさんのお人柄が凝縮された取材になりました。 Turntable Troopers ENT.代表取締役/DJ/プロデューサー DJ $HIN (でぃーじぇい・しん) 幼少の頃より洋楽を耳にする環境の中で育ち、10歳からブレイクダンスを始める。1990年DJに目覚め、1991年よりプロのDJとして活動をスタート。同時にDJバトルにインスパイアされ、そして参戦。数々のタイトルを奪取、西日本チャンピオンを4度経験し、1998年には日本第2位まで上り詰め、翌年1999年、DMC日本代表となった。それと同時に、K.O.D.P.のBooなども在籍したS.B.S.のDJとして、Word Swingaz/FutureShockのライヴDJとしても活躍。名曲Shingo2/E22との”Pearl Harbor”などのトラックメイカーとしても知られる。さらには数々のテレビ番組にも出演、FMラジオ番組のレギュラーも務めた。2003年にはCREWの名を一部に冠したレーベル、“Turntable Troopers ENT.”(T.T.E)を立ち上げ、第1弾音源ともなるソロアルバム『World Famous』をリリース。その後、『SAMURAI BREAKS』、『BANZAI BREAKS』、『KAMIKAZE SKIPPROOFS』など、次々にリリース。どれも国産バトルブレイクス史上記録的なセールスで、今もなお記録更新中である。最近ではDJスクール、音楽専門学校など若手育成やプロデュース活動に重点を置き、そのスキルを発揮している。まさに日本DJ界の『PIONEER』的存在。 LINKTwitter【 https://twitter.com/djshin1200 】Instagram【https://www.instagram.com/djshin1200/】Blog【 http://ameblo.jp/skratch/ 】Turntable Troopers ENT.【 http://tte.jp 】...

アナログレコードを愛する人々第4回 有限会社モル・ティム 代表取締役 田宮 守氏

第4回は、青山キラー通りのイタリアのヴィンテージ・バイク専門店「HIPHIPSHAKE」の田宮氏にインタビュー。以前は同じ場所でヨーロッパ音楽専門のレコードショップを経営されていました。 『「アメリカ」イコール「憧れ」だった幼少時代』 ―田宮社長は以前にこちらでレコード店を経営されてたと伺いましたが? フレンチのビンテージレコード専門店です。ここと吉祥寺大通り沿いにもうひとつ店舗を持っていました。 ―それはシャンソン専門店って事でしょうか? シャンソンと、アメリカのポップスに影響を受けたフレンチポップスですね。ゲンスブールとかあの辺です。上客には90年代に有名アーティストを次々と手がけた著名な方々もいらっしゃいましたよ。レコードは探して来なきゃ商売にならないんで大変だったんですが。 ―どうやって買い付けられていたんですか? レコード市ですね。パリに行ってもだめです。レギアノ村って言ったかなあ。町中でワインオープナーだけを作っている所があって、そのだだっ広い広場で開催されるレコード市とかですね。 ―最初からフレンチポップスがお好きだったんですか? いえ、最初はイギリスやアメリカの、たとえばジーン・ヴィンセントやリトル・リチャード、オーティス・レディングとか。自分でBELLETS(ベレッツ)というバンドをやってまして。同期には80年代に活躍した著名なバンドもいましたが、当時は僕らが当時飛びぬけて売れてましたね。ライブをやるとドイツの国営放送とかが取材に来たりして。アメリカの50年代をやるなんてどんな日本のバンドなんだと。 HIPHIPSHAKEの外観。レコードショップ時代からほとんど外観は変わっていないのだそう。 ―田宮社長のサブカルチャーにおけるルーツはどこにあると思われますか? 母親が音楽やってたのが大きかったですね。江利チエミさんの伴奏をやってたり。江戸の職人の娘なんで、当時は芸能界に入るなんてご法度で、何年も勘当同然だった様です。僕はパット・ブーンとかを普通に家で聞いてる子どもだった。サザエさんを見たいのにテレビを消されてしまって。フォークとナイフでキャンドル立てて、完全にアメリカかぶれのライフスタイルでした。 ―それは東京というか、原宿、青山という土地ならではですかね? この辺は進駐軍のベースキャンプでしたからね。代々木公園にワシントンハイツという官舎が建ち並んでましたから。街全体がアメリカかぶれでしたね。下町の子達に言われたもの。「渋谷はアメリカみたいだ」って。敗戦の傷が癒えずアメリカを敵視していた人たちもまだ沢山いましたが、学校から帰るとアメリカのホームドラマが流れていました。僕らは「アメリカ」イコール「憧れ」みたいに洗脳されちゃってましたね。「ルート66」とかでかっこいいアメ車が出てきたら、もう子供なんか完全に憧れちゃいますよ。 『好きだったものを死ぬまでやろうと思っている』 ―どうして今、ビンテージのイタリアの自転車を扱われているのですか? その前はジーンズとか、古着を売っていたんです。 50’s(フィフティーズ)っていうんですが、ヤンキーでもロックンロールでもなくアメリカン50’sカルチャームーブメントを70年代の後半に作っていました。 村八分の初代ドラムの村瀬茂人さんが、当時サンフランシスコで和骨董と和家具のお店をやっていて「アメリカの古着を日本に持っていったら凄いことになるぞ」と教えてくれたんです。そこで僕はアメリカに仏像等を持ち込み、帰りは古着を持ち帰ったんです。みんなあの頃僕の古着屋に来てインスパイアされていました。そんなことを続けていたら古着はもう極めてしまって。その内みんなが古着古着って言いはじめて嫌になってしまい、自転車屋になりました。小学生の時にイタリアのLEGNANO(レニアノ)というブランドのロードバイクを買ってもらっていて。僕は子供の時に好きだったものを死ぬまでやろうと思っているので。始めた頃はイタリアの自転車なんかなくて、自転車屋は3Kと言われ嫌われる現場のひとつだったんですけどね。 ―一日の中で音楽との関わりってどんな感じですか? 店内は昔のFEN。今で言うAFN(American Forces Network)。米軍放送です。家に帰ると50’sやフレンチポップスのCDを主に聴いています。 ―20代でバンドを辞められたとのことですが、なぜですか? もうつまんないから。みんなが「俺も」ってやり始めると、嫌になっちゃうんです。 ―人生に別れ道というか、選択しなければならない時ってありましたか? ないです。好きなことやりますから。己との葛藤はありますよ。「何が一番好きだったんだろう」って。 HIPHIPSHAKEファンのイタリア人イラストレーターの方に描いていただいたイラストとのこと。店内に大事に飾られている。 『職人としての気位』 ーお客様にはどんな方がおられますか?  企業のオーナーとか、元官僚トップとかはいらっしゃいますね。上は85歳で現役がいますよ。ここから富士山の5合目まで行って帰ってきます。みんな往復で200kmとか250km走りますね、1日で。だからロードレーサーというのは軽くて丈夫で、ある程度スピードも出せて遠くまで走れるっていう乗り物じゃないとダメなんです。 フロントディレイラー(変速機)と呼ばれる部品。 ―たとえば富士山付近まで往復したりすると途中でどこかが故障したりしないんですか? それがありえるから大変なんです。200kmを往復するような方が、僕のミスで落車して大怪我する可能性はゼロじゃないと思ってるんで。そういうリスクを背負う気位ですよ。僕のは1年間は平気ですね。壊れないメンテナンスの仕方ってあるんです。 ―それも買った方に教えられるんですか? 教えません。プロゴルファーだってコツを素人に教えるだけであって。プロがプロのやり方を教えたら自分が喰われちゃうじゃないですか。自転車も半年、1年後に「いやぁ大変だったよ」って乗った人が言うのがいいんであって、それまで僕らは我慢しなくちゃいけない。映画を観る前に結末を教えちゃいけないのと同じですよ。5年後、10年後に気が付いてくれるお客さんがいるから、リピーターになるんです。旋盤屋に「この部品はこの金属のブレンドで硬度はこれで作って下さい」って指示して、ネジ1個から全部作るんですよ。ネジ1個なかったら自転車って走れないんですから。 ―1台も同じものはないということですか? 指紋と同じで、1台たりともないです。双子が生まれて自転車2台買って乗り出しても、二人は違う道路、環境を通るんでタイヤの減り方から違いますよ。 ―自転車のフレームはイタリアまで買いに行かれるんですか? ミラノですよ。発祥の地です。作った人全員に会いに行きます。火の入れ方なんかも職人によって違うので。師匠から弟子の名前も4、5人位は聞いて覚えておきますね。工場では職人たちがが右利きか左利きか全部メモってます。聞いたことも全部録音して。イタリア語でもすごく訛ってるから、通訳に後で聞いても分らないんですがね(笑)。 ―自転車の修理もされるんですよね? ここで買ってないものでもでしょうか? それは全然OKです。何百万もした自転車の延命措置を頼まれるんです。僕が人間のお医者さんだったら大変ですよ。持ち込まれる自転車は末期がんクラスの患者ですからね。それを治して何十年も乗れるようにするわけだから。電子顕微鏡で見たりもしますが、そこから先は勘です。勘に勝るものはないです。 ―1台オーバーホールするのにどのくらいかかるんですか? ものによっては1~2年です。全部バラして。オートメーションじゃないんでね。 *音叉で部品を叩き、共鳴する音でホイルに緩みなどがないか確認する。 ―1年間に関わられる自転車って何台くらいなんですか? 3ケタです。簡単な電話対応のものも含めてですが。「どんな音がどの辺からしてますか?」みたいなね。 ―今日は社長からモノづくりの気概みたいなものを教えて貰った気がします。 名選手がいても、それを支えるメカニックや職人さんがいないと成り立ちません。こういうことが僕の中では大事なんです。 『好きなものを見つけたらとことん行け』 ―お話を伺うと、歳を重ねる醍醐味みたいなものを感じますね。 アメリカにも「old gold」って言葉があって、歳を取れば取るほど金の価値に近づいていくということなんです。みんな踊らされちゃってんのがたまならなく辛いですね。やっぱり好きなものを見つけたらとことん行けと。きっかけってみんな気が付かないんですよ。それに気が付かないで、自分で自分を潰しちゃうんですよね。好きだったら、続けること。ひとの100倍練習する。100倍深堀りするってことじゃないでしょうかね。 ―それではお気に入りのアナログレコードを1枚を教えて下さい。 スティービー・ワンダーがリトルスティービーと呼ばれてた頃の「UP TIGHT」というアルバムです。1曲目の「ラヴ・ア・ゴー・ゴー」が秀逸ですね。 https://youtu.be/EDD1TaQvvq8 *U字形の鋼棒の中央突端に柄(え)をつけたもの。たたいて音を出し、音の共鳴・振動数の実験、楽器の音合わせなどに用いる。 インタビュー後記 田宮社長はご自分で青原(あおはら;青山・原宿界隈をこう呼ぶ様です)の「番長」と自称されたのですが、ルーツが仏師や宮大工にあると伺ったせいか、お話しを聞きながら銭形平次や江戸火消しの棟梁をイメージしていました。米軍放送が流れる店先にどんと構える、サブカルチャーの「親分」。音楽も含めたモノづくりにおいて、その背景を紐解き、加工法や素材の必然性を徹底的に突き詰め、職人魂の炎を燃やし続ける本物の大人です。とにかく話しが広く深いので魅了されっぱなしで、界隈は勿論の事、世界中から訪れる本物志向のお客様は時に怒られながらも「大人の寺子屋」に日毎通うのが頷けるひとときでした。 有限会社モル・ティム(HIPHIPSHAKE)代表取締役 田宮 守(たみや・まもる) 学生時代、まだマイナーな存在であった1970年代の原宿で、アメリカ1950年代ファッションのムーブムントを仕掛ける。アメリカのビンテージ古着の豊富な知識を元に、セレクトショップで働くため渡米。デニムや旧アロハ・ミリタリー、時計、シューズ、50年代のレコード等を買い付け、現代の古着文化を確立させる。アメリカの移民カルチャーを学び、60年代のヨーロッパ音楽を扱うレコードショップ「メイド・イン・フランス」を原宿にオープン。その後、イタリア・ミラノの伝統文化であるビンテージ・ロードレーサー専門店「HIPHIPSHAKE」を原宿にオープンし、現在に至る。 HIPHIPSHAKE:https://www.facebook.com/pages/category/Company/hiphipshake-270298649652880/ ...

当社工場の職人へインタビュー(4)

名前:E.M 勤続年数:16年 担当:ゴム成型全般(レコード針の部品としてはダンパーゴム) ダンパーゴムが金型からきれいにはずれるよう型が熱いうちに木べらでこすります。 - やりがいを感じる瞬間は? 注文が沢山来て、自分が生産したものがレコード針としてお客様にご購入していただけた時です。 ダンパーゴムを傷つけないよう丁寧に金型から押し出します。 - 難しい作業は? *バリをきれいに取り除いて、きれいな部品の状態で後の工程に渡すことです。 *バリ:成型時に生じる不要な部分。 歪みなくきれいに穴が空いているか一つ一つチェックします。 ...

アナログレコードを愛する人々 第3回 家具工房アクロージュファニチャー代表 岸邦明氏

『材によって音は変わる』 ―早速なのですが、そこに置いてあるターンテーブルは商品ですか? これは今日納品分なんですが、お客さんがお持ちのベースを作り直したんです。 ―壊れたわけでもないのに作り変えるのですか? 音が全然違ってくる様です。 ―ちなみに材は何ですか? これはメープルですね。ここで二枚を接(は)ぎ合わせています。一枚板で出来ない事もないのですが、100mmを超えて製材するって事が基本的にないんです。もしそれをやろうとすると乾燥に相当年月がかかります。もちろん、人工乾燥炉に入れたりとか出来なくは無いんですけどね。(特注サイズをやり始めると)10年位の単位で材料を用意していかなきゃならないんでね。このターンテーブルの元の材料はアッシュの滅茶苦茶目が粗い材でした。 ―メープルを選ぶにあたってはお客様と色々相談されるのですか? メープルは実際*インシュレーターとして採用実績がありますので。材を変えると音が変わるのは分かっていたんですよ。僕は一通り材料を試してきたので、どんな音がするのか推測できます。だからお客さんの持っているオーディオ機器と、その人の目指す音をお聞きして、これがいいんじゃないですかと提案してます。例えば真逆な音がする材と両方持って行って、実際聞いて頂くと納得して下さいます。 アクロージュファニチャー定番商品の椅子。ロゴのモチーフとなっている。 ―社長もレコード世代ですか? いや、どっちかと言うとラジカセ、ウォークマンの世代でしたが、中学生くらいまではLPを聞いてました。世間と同じでLPからカセットテープ、そしてCDへと変わり、LPは聞かなくなりましたね。そこから30年くらい全然聞いて無かったんです。 ―社長は一日の中でどんな風に音楽と関わっていますか? 仕事をしながらBGM的に音楽を聞くことが多いです。CDでJazzが多いですね普段は。作業場のスタッフはラジオを流してますけどね(笑)。 『経験が積み重ねられるものを』 ―この鳥居の様なロゴは起業の頃から使われているのですか? 最初から使っています。 そもそもは「アクロージュファニチャー」のAと定番でやってるこの椅子を正面から見たデザインなんです。でも見る人は殆ど鳥居だって言ってます(笑)。木工ってね、昔に遡れば、そういう神社仏閣と無縁じゃない職業なんでね。 ―営業は社長がされるのでしょうか? 僕は十年以上やってきて、この仕事では営業をやった事がないんです。音楽之友社さんがそばにあるってのも、越して来て分かってて、エンクロージャーも何度も作ってきてて凄く喜ばれていたから、木工の技術がオーディオ製品に活かせればというのがありました。レーザーターンテーブルという製品の木部をうちがずっと作って来たし。だからそろそろ営業もしなきゃなと思ってたら、音楽之友社さんから無垢材でスピーカーを作れないかという話が来たんです。僕の中では作れない理由が見つからない。結局1セット10万円というものを出しました。音楽之友社として初めての高価格帯商品だった様で、それが売れたし好評だったんです。正直儲からないですが、今、次のモデルの開発手記を連載させて頂いていて、それをそのまま自分のブログに掲載する許可を貰ってるんです。それが何よりの財産になるかなってところです。 ―話が遡りますが、十数年前に木工の仕事を始めたきっかけは何だったのですか? この仕事の前は、親父の借金を返すために問屋業をしていたのですが、5年足らずで返せちゃったんですよ。両親にもちょっと貯金も渡せました。その時自分は28歳で、手元に1千万円の貯金も出来たんです。そのうちAmazonみたいな世界が来て、問屋業は永続きしないなと思ってたんです。だからセレクトショップみたいなものをするか、メーカーになるかどっちかだなと考えました。僕も商材を30種類くらい手掛けましたが、売れたのは所詮1個なんです。モノを売るって結構大変なんだなと痛感してましたので、モノが売れるサイクルの中でこの先30~40年間も俺はヒット商品を出し続けられるのかなといえば、それもしんどいなと思ったんです。で、モノづくりってなった時に、家の中にあって必ず無くならないもので、経験が積み重ねられるものでと考えました。その中から時間をかけて家具に絞ったんです。木工は何となく自分でも出来るかなという感覚があったんです。 店内の様子。木製スピーカーなども販売されている。 『知識を身に付けるため80,000kmの旅に出る』 ―どこかに弟子に入られたりしたのでしょうか? 30歳を回ってから職業訓練校に行きました。28歳で事業を親に引継ぎ、自分は木工の道に行こうと決めて、でも10代からやってる人たちに勝てないじゃないですか。いやどうするかなとなって、人並みかもしれないけど、何より知識が重要だろうと思いました。そこで見聞や情報を身につけるため3年くらいかけて海外を回ったんです。バックパッカーではなくて。当時はまだネットとかもないんで、やっぱ正しい情報というのは本なんですよね。(バックパッカーだと)本を沢山持って行くっていうのも出来ないから、車がいいな、それもキャンピングカーだって辿りついたんです。キャンピングカーっていっても買うだけでも大変じゃないですか。それで更に調べているうちに日本のキャンピングカーが海外にまだ出た事がないのが判ったんです。そこで欧米30ヶ国を国産のキャンピングカーで回るという企画書を作って、キャンピングカー専門月刊誌に持っていきました。すると「面白いね」と言ってくれて、毎月4ページの連載を頂いたんです。今度はキャンピングカーメーカーに車両を借りるべく持ち込んだら、大阪の会社が1社採用してくれました。ヨーロッパから北米、ニュージーランド、オーストラリアと二年かけて回りました。 ―全走行距離はどれくらいですか? 80,000km位ですかね。執筆しながらの旅です。 『あなたの思いをかたちにします』 ―この先の事業の展開はどんな風に考えてらっしゃるのですか? 本来なら作家みたいに自分が作りたいものを作って、それを欲しい人が買ってくれたらそれが一番いいんですが、そんなに自己表現に執着していないんです。どちらかと言ったら顧客満足の方が強いんです。お客さんが本当に欲しいものを突き詰めて作っていく方向に舵を切ろう思っていて、僕の社是みたいなものが「あなたの思いをかたちにします」なんです。誰にも負けないフルオーダーメイドの家具を作ろうというのをひたすらやってきています。今僕は丸太で材木を買ってきて製材所に頼んで挽いて貰って、3、4年かけて乾燥させたもので作ってます。一つの家具は一つの丸太からっていうのはほとんどどこもやってないです。東京都内で丸太から家具を作ってるところはうちだけなんです。そこをまず突き詰めてるんですけど、採算が取れるとは限らないです。なぜかと言えば無茶苦茶時間がかかるので。だから木工教室を始めました。今生徒さんが200人います。 ―どんな方が通われているのですか? 男女比は同じくらいで、年齢は本当にバラバラです。長野から通われている方もいますね。木工教室の質と規模としては日本一だと思っています。プロの世界の方がもう機械でしか作らない時代になってきてるんです。個人はそういう機械を持てないから、逆に手の技術が伸びたりするんです。 ―生徒さんの作品を手伝ったりするのですか? 前は手伝っていましたが、今はなるべく自分でやれる様にしています。手を貸しちゃうと「先生に最後手伝って貰っちゃったな」というマイナスな想い出が残るんです。レベルはともかくとして生徒さん自身が作り上げた方がやっぱり満足感があるというのが十数年やって学んだことです。 『無茶苦茶「とことん」みたいです』 ―フルオーダー家具というのは高価だし、そうそう買い替えないものなので、お客様が値段に納得し、満足してもらう為の社長ならではのやり方はありますか? うちに来られるお客さんって、ここに来るまでにほとんどの家具屋さんを回ってるんですね。よそで満足できなかった自分の想いが形にならなくて、それでも諦めずに探し続けたら、うちみたいな存在を発見して、藁にもすがる気持ちで来られる方が多いんです。あちこちで修理やオーダーメイドを断わられていますからね。でもブランド力が全く無いこの僕に、50万円、100万円預けていいのかってとこですよね。形があればいいけど、最初は何も無いですから。せいぜいあって図面ですよ。僕は一般的な努力は勿論しますよ。ニーズを知る為にお客さんの話をとことん聞いたりとかはね。でもその「とことん」が無茶苦茶とことんみたいですね。それは納品時に言われますね。「家の中の全ての家具を見て、こんなにとことん向き合ってくれた人はいない」って。だから現場には必ず行きます。 https://youtu.be/J-L8U_Rr2IU *オーディオ機器の下に敷く振動吸収材 インタビュー後記 ドラマの様な半生に驚きました。人生の岐路に立つ度にいつも無茶苦茶考えて、納得して選んで人生を歩まれている前向きな姿勢には、いい加減な自分が恥ずかしくもなりました。徹底的な顧客満足の追求こそが小さなメーカーの生きる道と信じて実現し、実績をあげられている事実に刺激を受けました。(こう書くと嫌がられそうですが)私がこれまで会った中で確実に3本の指に入る外見も内面も「イケメン」だと太鼓判を押します。そしていつか家具をオーダーしたいと思いながら神楽坂を後にした次第です。 家具工房 アクロージュファニチャー代表 岸 邦明(きし・くにあき) 大学卒業後、物販の仕事を行う。制作に携わらず、本当に良いものか確信を持てないまま販売することに満足することができず、制作から販売まで責任を持って行える仕事を探す。木工から家具に興味を持ち、28歳のとき、家具工房を生業にすることを志す。29歳から31歳の3年間、約20カ国をモーターホームで巡り、歴史ある国々の生活様式や文化財に触れ、どのような家具を制作していくべきかを学び、感性を高める。32歳で家具制作の訓練校に通い始めてからは木工に全力の日々。少しでも良い物を作りたいとチャレンジし続け、現在に至る。「しっかりした物を作りたい」「お客様の望みを叶えてあげたい」が今も変わらない一番の目標。 家具工房アクロージュファニチャー http://www.acroge-furniture.com ...